男の痰壺

映画の感想中心です

恋恋豆花

★★★ 2020年3月27日(金) シネリーブル梅田4

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モトローラ世理奈を「風の電話」で見て、その死んだ魚のような眼差しに、これは演技なのか、ほんとうはニコヤカな年相応な表情をするんやろか。てな興味を持ったのだが、またもや死んだ魚で出てきた。

世の中の空隙だけを見つめ、他者からの介入を拒否する。「風の電話」は9.11で家族を失った設定だから必然であったが、この女の子にそれはあるのか。

 

父親の再婚相手に台湾旅行に駆り出される彼女は、露骨に嫌々感を得意の死んだ目で漲らせる。可愛げないことおびただしい。

ところか、一旦美味いもん食えば、彼女の表情は一変する。目が生き返り感情の抑圧は取り払われる。あろうことか笑ったりもする。

なんじゃそりゃである。

 

義母と揉めたりしつつも、あっちこっちで舌鼓うって仲直り。

まあ、この開き直ったかのような展開もサバけて悪くはありません。

途中から、モトローラ1人旅になって、異国の孤独な旅路は彼女に閉じこもった殻を脱ぎ捨てさせる。ありがち展開だが、物語の帳尻はついたと思います。

 

冒頭のクレジットで監督が今関あきよしだと初めて知った。俺が学生の頃、同時代的に自主映画をやってた人で、ぴあで受賞した「オレンジング79」とかそのあとの「フルーツバスケット」とか美少女大好き映画の人でした。俺には無縁の眩しい世界で近寄り難かった。で結局、彼の映画はこれまで1本も見てないんです。

偶然に初めて見た今関作品となりました。

 

思春期の鬱屈がモトローラ得意の死んだ目を通して世界を狭窄させるが、一旦外に出て美味しいもん食えばニッコニコーってなんじゃそりゃ。でも、笑顔におじさんは少し安心したかも。後半の今関風の少女自分探しは何処となく80年代っぽい。浅いけど。(cinemascape)

 

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おもひでのしずく (2003年7月1日)

※おもひでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。

功徳

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先月の初めに、東京にヤボ用で行き、親類とこ泊めてもらった帰りに、パチンコやったらフィーバーして2万円儲かっちまって、時間余ったから、一度、府中で競馬ってのをやってみようかと思い、9Rのロベリア賞っちゅうので、単勝っちゅうのを2万円買ってみたら、120万円になっちまって、おっかなくって安田記念ってので全額アグネスチャンじゃなくってデジタルいうのを買えるだけ買ったら1200万円になっちまったのよ。
こりゃあ、なんぞ悪いことの前触れかと思って、新橋の馬券売場で又、競馬やってるっていうから、ミラクルたらいう馬券に、全部変えたのよ、あーすっきりしたと思ったら、びっくらこいたことに1億9000万円になっちまった言うでねえかよ。
そんな、あぶく銭は身につくはずもねえから、税金払って、残りは、大阪で苦労してる、昔の恩人に全額渡して帰ってきたよ。
あーすっきりした。やりなれんことするもんじゃあねえよ。せいせいした。

えっ?大阪の恩人?
うん、おいらが死ぬ思いで泣いてたときに、ただ一人助けてくれたのが、その人さ。
名前…言っちゃっていいかな。
…けにろん先輩って人なんだけど…。

 

とまあ、いつかは、こういうこともあるかも知れない。
いいことしとけば…。

ニーチェの馬

★★★★ 2013年3月15日(金) 梅田ガーデンシネマ2

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凄まじい強度と吸引力を持った画面の連続だし、ワンシーンを2カットで描ききる潔癖さの一方、辺境ロケセットの家屋と井戸の距離の絶妙や過剰なまでの風への拘泥。ただ、こういう終末観は目新しくなく、又30分で語れる内容を5倍に伸延させた感が拭えない。(cinemascape)

 

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帰ってきた若大将

★★ 1981年2月25日(木)伊丹グリーン劇場

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バブル勃興前夜の停滞期に高度成長時代のコンセプトを何の再考察もなく復刻しようという過ちもだが、何よりええ歳こいたおっさんが若大将だ青大将だと脳天気に浮かれてる様に如何様にすれば興味を持てるのだろう。加山が無惨でさえある過去遺産への拘泥。(cinemascape)

 

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コロンバス

★★★★ 2020年3月27日(金) シネリーブル梅田3

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監督がブレッソンヒッチコックや小津に傾倒するシネフィルだってこと以外、ほぼ予備知識ゼロで見たので、見始めてしばらくは、どういう物語なのかが掴み難かった。

幾人かの多様な人物の挿話が並行して描かれるので、PTAやソダーバーグの映画みたいな群像劇かと思ったりもしたが、結局のところこれは、1組の男と女の話なのであった。

そのへんの人物の出し入れの組み方が、シンプルな強度を阻害している。

 

つまるところこれは、田舎でくすぶってる女の子が外に出て行くことを決意する話なのだが、そこに2つのファクターが加味されて物語は転がる。

1つは棄てるべき田舎が彼女を捉えてやまない。そのコロンバスという町がモダニズム建築の宝庫であるという要因。

もう1つは、偶然に出会った男が、彼女の内的な葛藤の絶妙な解放装置として役割を全うしてくれる点だ。

 

後者に関しては、男女の関係の微妙な均衡点を映画はすり抜けていくのだが、素晴らしい。

ジャームッシュの初期作に匹敵すると思った。

しかし、前者の建築物への拘泥は十全に画面に刻み付けられたかは疑問。

グリーナウェイやアンダーソンくらいのあざといまでの造形への拘りがあっても良かった。

 

鬱屈を殺し諦念に至った彼女が男への心情吐露を反復することで自己解放に至る物語でヘイリー・ルーの顔と体型と特定分野への傾倒のバランスがチョウの欲情を抑制し真ダンディズムを獲得させる。ただモダニズム建築の映像定着が淡泊に過ぎ物足りない。(cinemascape)

 

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おもひでのしずく (2003年6月18日)

※おもひでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。

マゾヒズム

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先日、散髪に行った。3800円の近所の親爺の店を捨て、電車で4駅の1500円の店に鞍替えして半年。目が合う度に恨めしげな視線を放っていた親爺も目を合わせてこなくなった今日この頃。紫煙を燻らせて思いに沈む。

身を委ねて人に何かをしてもらうのは何故か快感である。そして、それが1歩間違えれば危険を伴う行為であれば何かが付加され、より深遠なる世界が人を誘うのであろうか?

散髪屋で親爺に髭を剃ってもらう。→剃刀を持つ手が滑って首筋の頚動脈を切り裂かれる。
歯医者で歯垢を取ってもらう。→ドリルを持つ手が滑って歯茎に穴を開けられる。
女房に耳掃除をしてもらう。→耳掻き棒を持つ手が滑って鼓膜を突き破られる。
マッサージのおばさんに腰を踏んでもらう。→脊椎を折られる。

危険に満ち満ちた日常。
疲弊した精神で、それを嬉々として受容する俺はマゾヒズムの深遠を覗こうとしているというのか…。

モーニングモーニング君の朝だよ
モーニングモーニング君の朝だよ

突如、わけもなく脳裏に去来した封印された歌詞。
いかんぞ!奮い立つのだ。自戒せよ。そして、思い出せ!
座右の銘「最後に笑ってやるぜ!」を…。

(注:文中マッサージと耳掃除は遥か彼方の記憶に基づいております。)

千年の愉楽

★★★ 2013年3月15日(金) テアトル梅田1

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神話的に撮られるしかないはずのサーガなのに、相変わらずにサクサク綴られ若松のやっちゃいました感に苦笑混じりに嘆息。高良の後家との絡みのエロスの片鱗に全盛期の今村級の追い込みを渇望した。血に纏わる物語なのに血反吐地獄には遠いのだ。(cinemascape)

 

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