男の痰壺

映画の感想中心です

ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の七日間

★★ 1992年10月10日(土) 新世界国際劇場

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ボウイもマクラクレンもちょこっとでるだけで安手のTVドラマの如き平板な話が延々と続くとあっては詐欺だと言われても仕方なかろう。TVシリーズは未見だが劇場版と銘打つにしては気合い無さ過ぎ。シェリル・リーだけ見て忍耐しするしかない。(cinemascape)

夜よ、こんにちは

★★★ 2006年7月8日(土) 第七藝術劇場

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『浅間』や『ミュンヘン』に比して手法として扇情的な描写が皆無に等しいのはいいのだが、そこから何を提示したかったのかが今一見えてこない。テロルの「時代」を問うこともなく人間の葛藤や尊厳を突き詰めて提示されたとも思えなかった。

ロボコップ2

★★★ 1992年10月10日(土) 新世界国際劇場

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前作以上の世紀末的ムードが魅力と言えば魅力だし特撮も上々なのだが、えげつないキャラがオンパレードで余りに遣りきれない気分にさせられる。それが加速され突き抜ければカルティックな評価にも至ろうが御用監督と化したカーシュナーでは限界があった。(cinemascape)

至福のとき

★★★★ 2006年7月22日(土) パルシネマしんこうえん

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余りに物語が小振り過ぎて小品の趣を免れ得なく、この投げ出し方は「放棄」したとも思える粗雑さだが、一方で執拗に反復されるディテールに新たな手法を模索する作家魂を感じたりもした。いずれにせよ2極を往還する藝謀はしたたかそのものだ。(cinemascape)

 

 

kenironkun.hatenablog.com

 

こうのとり、たちずさんで

★★★ 1992年10月26日(月) テアトル梅田2

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国境地帯というシンボリックな舞台で流浪と漂泊を散りばめたカオスより何を抽出し得たのか俺には見えなかった。ビデオの中の2大スターが背負った映画史の邂逅は感銘を呼ぶが物語の構造とは遊離している。難民たちのど真ん中から攻めるべき題材に思えるのだ。(cinemascape)

マインドハンター

★★★ 2006年8月12日(土) 新世界国際劇場

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そこまでやるかという納得性が欠如しているからシラける。混沌の彼方に物語を押し込めることもなく無理矢理に整合性を求めて自ら破綻した感じ。シンプルを突き詰めてこそ諧謔を見出すハーリン演出も結局はシナリオに服従した。(cinemascape)

喜劇 “夫”賣ります!!

★★★★ 2021年11月22日(月) 新世界東映

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女の方からグイグイ来られる。モテない男の願望かもしれませんが、こういうのに俺は弱いんです。もちろん、来る相手にもよるんですが、今回それは佐久間良子ですから。ちなみに俺は彼女のことを、今でもよく特集上映される若尾文子に匹敵する時代のミューズだと思ってます。

 

伊賀上野の大店の後家の当主が佐久間良子で、その専属運転手がフランキー堺。2人は小学校の同級生であったが、今や境遇は天と地であります。序盤で名士たちを招いての宴席に「お前も来なさい」と佐久間に言われたフランキーがいそいそ訪れると客たちの面前で「何しに来た、お前が来るところではない」と罵倒する。その氷のような眼差しがたまりませんなあ。まあ、そこからツンデレ展開になる前振りは十全です。

一方で、フランキーの嫁の森光子は、貧乏世帯の切り盛りで疲れ切ってるところに姑の執拗ないびりもあり今にも消え入りそうな風情。これが、夫と佐久間の関係に気づくと何かが吹っ切れたように攻勢に出る。髪を結い上げ化粧もした森がシャキシャキのし上がっていく。

 

この映画、そういったドテン買いの作劇が決まって、相当にインモラルな物語を押し流していくのが重曹的で厚みがあると思いました。

監督の瀬川昌治は多くのコメディ系のプログラムピクチャーを手がけた人みたいだが俺は全く見ておりませんです。