男の痰壺

映画の感想中心です

ゲームの規則

★★★ 2024年4月15日(月) プラネットプラスワン

ルノワールの最高作とする向きもあるそうだが、どうにもなんと言うか今いちだった。だいたいに於いて俺はルノワールの映画が性に合わないんでしょうね。何見てもあんまりピンと来ないんです。

 

貴族たちの4角関係が軸にある。それとは別に使用人の3角関係もあって、狐狩に招待された人々そっちのけで7人がてんやわんやの図式。それとは別にルノワール自身が演じるオクターヴという高等遊民みたいなのが各々のややこい関係の修復を担って1人ウロチョロしてる。

正直、この顛末が語られる映画の2/3くらいは退屈でしかなかった。

 

終盤になって交わることのなかった2つの関係人物が交差することで、とんでもない悲劇へと転調していく。のであるが、さすがにそのへんになると映画は劇的に締まっていく。そして宴の後のアイロニーが濃厚に漂うなかFINとなります。でも、ええんかなあと思う顛末の裁断が引っかかりますけど。

 

終わってみれば、強烈に印象に残るのはルノワール演じたオクターヴであり、調子がいいだけの野郎に見えた彼が、自分で凌ぎを為す身分でなく人の温情で生きている情けなさを述懐し、また秘めた恋心を顕にするのには心動かされます。多分、それは名声高い父の名のもとに生まれ、映画などというあやふや仕事に身を窶す自身の投影だったんだろなと思われるのです。

 

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ナイスガイズ!

★★★★ 2017年2月21日(火) 梅田ブルク7シアター5

70年代をモチーフにしたハードボイルドってのが、もしかしたら流行?
なんて思っちまうくらい全てが様になってる。
SEX&ドラッグと生活の垣根が低いんですなあ…この時代は。
そりゃあ、なんでも規制の今の世に生きてりゃあ、70年代経験者にゃあ懐かしくも思えます。
 
主演2人が最高だ。
どでかいテディベアと化したラッセル・クロウの良さは想定内だがライアン・ゴスリングに驚愕。
条件反射的アドリブが冴える。
・腕折られるときの悲鳴→絶妙の大きさと長さです。
・娘に指切り迫られ渋々したあとF○CK!と吐き捨てる→納得の反応です。
などなど全篇ノリりに乗ってて楽しい。
 
財界の巨悪が元締めってのも実に「らしい」。
ただ、キム・ベイシンガーだけは一寸弱い…っていうか痛々しい。
 
SEX&ドラッグと生活の垣根が低い70年代への懐旧感が堪らない。主演2人が最高でどでかいテディベアと化したクロウもだがゴスリングの条件反射リアクションが冴えまくる。財界の巨悪が元締めってのも正しくハードボイルドの根幹を押さえてます。(cinemascape)

ちはやふる 下の句

★★★★ 2016年5月9日(月) TOHOシネマズ梅田9
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孤高とも言えるクイーンの登壇により、ぬるま湯で屁をこいたような三角関係にも背骨が 通りウジウジ男はふっきれドS野郎は漢気を見せる。かくして作劇のベクトルは一気に 全国大会へ向かいたいが主人公が浮つき強度は生半可。が、ともかく「上の句」より良い 。(cinemascape)

オッペンハイマー

★★★★ 2024年4月14日(日) 大阪ステーションシティシネマ

今まで悪いと思ってなかったことが、ある日気づいたら悪いことだと世間ではなっていて、自分だけが気づいてなかった。昨今の我が国の松本の問題にしても自民の裏金にしてもそんな感じなんだけど、第2次大戦を挟んだアメリカでの共産主義への接し方も同様だったんだろう、なんてことを思わされた。ソ連への情報漏洩に関して聞かれたオッペンハイマーは言う。「えっ?だってソ連は味方だろ」

 

新進の研究者だった若い頃から晩年まで膨大なエピソードを詰め込んで、見る者がついていけるか斟酌せずに駆け抜けて行く。見てて原田眞人の叙法に似てると思ったし何となく底浅なのも一緒。ノーランが原田の映画を見てることはないと思いますが。

 

「栄光と悲劇」という原作の副題は同時代から見たオッペンハイマーを現すものであり、原爆というものをこの世に産み出したことに対する現在からの見方とは違う筈である。ノーランはそこまで踏み込む気はなかったんだろう。批評精神は驚くほど見受けられない。そのへんが今いちの評価をしかねる所以です。勿論、原爆はオッペンハイマーが作らなくても誰かが作っただろうし、それが時代の必然だったことはわかった上で、その運命のクジを彼が引いた何かにこそ映画が作られる意味があったとんじゃないかと思うのです。

 

市民ケーン」の「薔薇のつぼみ」めいた謎として終盤で明かされるオッペンハイマーアインシュタインの邂逅で交わされた会話。それを曲解し続けたストローズという建付けを見る限り、本作の肝で主軸はオッペンハイマーとストローズの確執であろう。プリンストンオッペンハイマーを迎えたストローズが「平民出の凡人」ですよと自己紹介する序盤。それに呼応する先述の終盤に見合う中盤のドラマは多くの事象を消化する片手間に紛れてしまった印象だ。

 

一部で言われる広島・長崎の投下の惨状を描かないのは欺瞞ではないか、ですが、そんなもん入れたら概ね一人称世界で語られた映画の叙法は大きく損なわれるだろう。話にならないイチャモンである。

 

好演・力演ぞろいの演技陣だが、フローレンス・ピューの予想以上の爛れ感と、アインシュタインを演った「戦メリ」以来のMr.ローレンスことトム・コンティが印象に残りました。

 

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セル

★★★★ 2017年2月22日(水) 大阪ステーションシティシネマ
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何年か前に原作を読んでいるのだが、細部は覚えていない。
ただ、発端は昼日中ののどかな公園だった記憶があるが、映画では空港。
阿鼻叫喚が始まる掴みは映画らしくスケールアップしてる。
小説では、キングらしい執念深い細緻描写で延々続く殺戮だが、映画では思いのほか続かない。
 
そして、そこから後は寂れ果てた風景が続くのだ。
孤絶感が極まる。
風景描写が秀でており、何度も電波塔がインサートされるが時に水鳥とか意味不明に切ない。
 
もともと解を出してない小説に対し映画は輪をかけて投げやりだ。
いっそ潔い。
 
阿鼻叫喚が始まる掴みこそ増幅されたが、そこから後は寂れ風景が延々と続き孤絶感が極まる。やたら挿入される電波塔とか風景描写が秀逸で水鳥とか無意味に切ない。解を出さぬを厭わず寧ろ輪をかけて投げやりなのが奇作『エイリアンVSヴァネッサP』と好対。(cinemascape)

ミッドウェイ

★★ 1976年7月11日(日) 北野劇場
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ザナックほどの包括戦略と覚悟がミリッシュに無く、一応は顔見せ的に老朽スターを揃えてはみたが、肝心の戦闘場面までもが老朽使用済フィルムでは残骸感もいや増す。東宝の同工作と同レベル。どでかいセンサラウンド音だけが劇場を虚しく震わせた。(cinemascape)

ふたりの女

★★★ 2016年8月20日(土) プラネットスタジオプラス1
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大戦末期の各国列強が侵攻する伊半島内陸部の混沌とその奔流に流されるしかない人々。中空からの掃射で目の前の人が倒れても構ってる余裕もない。そういう現実認識のリアリズムはある。ただ、輪姦描写の半端さとラストの笑みの釈然とせぬことが点晴を欠く。(cinemascape)