男の痰壺

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巴里祭

★★★★ 2019年8月4日(日) シネリーブル梅田4

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どうも、ルネ・クレールとは相性が悪いみたいだし、期待してた「リラの門」も今いちだったことから見る気もなかったのだが。

何しろ古い映画だから温い恋愛譚だと思っていたこともある。

 

でも、序盤はやっぱりの展開でかったるいのだが、思いのほか急転直下に転がりだす。

男の浮気(?)から関係は破綻し、2人をとりまく状況もずるずる悪化していく。

スピード感があって飽きさせない。

 

大団円となる広場での遭遇は俯瞰のカメラが大状況を捉えてセット美術が縦横に駆使されている。

邂逅した2人が罵り合いから、やがて雨の中しっとりという展開は、ちょっと上島竜兵ダチョウ倶楽部)の例のキス芸を思わせる古来よりのオーソドックスな反転シチュエーションですさまじい強度だった。

 

随所で出てくる酔っ払い酩酊紳士がヒロインを救済する。

これに、俺は既視感を覚えたのだが、ふとチャップリンの名前に行き着いた。

「モダン・タイムス」のオートメーション工場が「自由を我等に」からインスピレーションを受けているのは有名な話なので、当時、クレールとチャップリンが相互にインスパイアし合っていたのは想像に難くない。

この酔っ払い紳士が、どっちがオリジンなのかは知らないが、作劇上で便利きわまりないキーパーソンで、しかも嫌らしくないのがいい。

 

物語の随所で顔を出しヒロインを救済する泥酔紳士はチャップリンと相関した時代の起動装置で愚直な2人の顛末をあるべき方向に修復する。大団円では広場のオープンセットが俯瞰の大状況から罵り合う小状況に至る展開に寄与し嬉し恥ずかしの雨宿りへ導く。(cinemascape)

 

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