男の痰壺

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ロケットマン

★★★★★ 2019年8月28日(水) 梅田ブルク7シアター3

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正直、さほど見る気もなかった。

何せ、明らかに2匹目のドジョウ感があるし、監督も、かの映画のブライアン・シンガー降板のあとを引き継いで完成させた人らしい。

何よりエルトン・ジョンに興味がない。クイーンにもさして興味がなかったのだが、さらに輪をかけて興味がない。

又かのセクシャル・アイデンティティのネタも大概うんざりする。

 

俺が中学生か高校生のころ、「Tommy」っていうザ・フーロックオペラの映画化作品があって、これがどうにもな出来なのであったが、この映画中、唯一といっていいシークェンスがピンボール対決なのであったが、そこにピンボールの魔術師として登場したのがエルトン・ジョンなのであった。

ってことで興味をもって多少聴いたりしたんだが、いまいち興味が持てませんでした。

まあ、彼はロックスターっていうよりポップスターなんですわ。

 

でも、この映画は傑作であった。

序盤のミュージカル仕立ての2つのナンバーの出来が、予想外にいいこともあったが、続く2つの挿話の出来が圧倒的であった。

 

1つ目は「ユア・ソング」の創作シーンで、歌詞を渡されたジョンがメロディをつけるのだが、断片的なメロディがまたたくまにキャッチーな曲になっていく。

てらいがない真正面からの描写であるが、天才ってのはいるんだってことが、素直に見るものに訴求する。

関係ないが、俺は南こうせつが「神田川」の詞を電話口で聞いて、その場で曲を完成させてしまったっていう話を思い出してしまった。いや、「神田川」が好きなわけでもないんですが。

 

2つ目は初めて渡米しライブハウスで公演するシークェンスで、緊張しまくりのジョンが、ローキーな声で歌いだし聴衆がざわめいてくる。間をもたせてざわめきを斟酌したのちに爆発するのだが、どうやって緊張を解いて自分を解放するするのかがテクニカルに分析されて映像化されたシーンだと思う。

演出はシュアだし、主演のエガートンもすばらしかった。

 

生涯の盟友で、詞を提供しつづけたバーニーを「リトル・ダンサー」の子役ジェイミー・ベルが演っていて、彼を「崖っぷちの男」で見たとき、なんとまあ輝きのかけらもない男になっちまってと思った覚えがあるのだが、今回、その輝きのなさがドンピシャだったと思う。

 

前述の「ピンボールの魔術師」は、コンサートの転戦シーンの機軸ナンバーとして使われていた。あらためていい曲だと思った。

 

彼の生涯で描かれるべきものを正確に把握し、そこを入魂で描いた感があるので、描法にバラつきがあるの疑義は雲散する。詞を見た瞬間にメロディの断片が降りてき瞬く間に連結される。或いは如何に緊張を押し自分を解放して聴衆を掴むかなど。確信的ベタ押し(cinemascape)

 

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