★★★★ 2019年8月30日(金) 大阪ステーションシティシネマ4
タランティーノがシャロン・テート事件を映画化するって話を知ったとき俺は思った。さすがにあかんやろ。
だって、ポランスキーは、まだ生きているんやぞって。
妊娠中の妻がメッタ刺しにされて殺される。
なんて経験は何十年経っても癒えるわけないし、ポランスキーがその後、長い年月、事件を乗り越えて生きてきたんだろうってことは、考えるだに痛ましい。
でも、映画を見て、なるほどなと思った。
これは、事件へのタランティーノなりの凄まじい怒りの表明であり、切なる願望をこめた夢のパラレルワールドなのだ。
ディカプリオ演じる落ち目の役者の話が前半を牽引する。
それは、それなりに面白いし、やっぱディカプーは巧いので随所で見ほれる。
ただ、どうやろか。自信を喪失した役者ってことなのだが、彼は巧すぎて全然クスんでる感じがしない。
見る前に、ユリイカを立ち読みして、ハスミン先生が「ディカプリオは輝きを消せる」とおっしゃってましたが、消せてないんちゃうやろか。
一方で、「ブラッド・ピットやトム・クルーズはどうやったって輝いちゃうんですなあ」とか言ってるが、俺はこの映画の前半のブラッド・ピットは見事にクスんでたと思うんです。さすがに歳には勝てない感が滲んだ消し炭のような風情で正直マジ泣けました。
どこ見てるんやろと思った。
ディカプー話とシャロン・テート事件をつなげてるジャンクションがブラピの存在であって、ビリング上ではディカプーが上だが、これはブラピの映画だ。
憑かれたような運転とか、若干の狂気の片鱗を見せつつクスんでるってのが前半なのだが、彼がマンソン・ファミリーが根城にしている廃墟になった西部劇のロケセットを訪れる件で狂気は半開される。
ここが、この映画でもっともタランティーノらしい資質が炸裂するシークェンスで、それをものの見事にスカして映画は本流に戻っていくのだが、巧妙な終盤への前フリとなっている。
この映画、どこかでタラの過去作で「ジャッキー・ブラウン」に近いという評を読んだが、確かにグダグダ感は近いのかもしれないが、俺は敢えて言うなら「デス・プルーフ」だと思う。サイコな流れを断ち切って卓袱台返しに近い荒業で一気にケリつけるって点で。
ブルース・リーやマックィーンや同時代人として垂涎のネタがてんこ盛りで長尺を全く飽きさせない出来ではあったが、タイトな傑作とは言えないのだなあ。
なお、ハスミン先生はマックィーンが似てないって不満みたいだっけど、俺はいい線いってるんじゃないかと思いました。
豊穣なぐだ語りに充ちた切なるパラレルワールドだが、ロマンティシズムは概ねブラピに仮託される。陽光下の屋根上での一服が醸す知足の刻に差し込む不穏と顕現する廃牧場での顛末。その消炭めく風情の下の狂気。知らんぷりでデイカプーも本分を全う。(cinemascape)