★★★★ 2019年9月18日(水) テアトル梅田2
大森立嗣が最初期の頃に書いた脚本だそうな。
ここんとこ柄でないジャンルに挑んで失敗した(あくまで俺の感想です)彼が渾身の企画に対して半端ない覚悟で臨んだ節が伺える。
新たに加筆されたという冒頭の障碍者施設のシーンは、表面上は福祉と反社会勢力の癒着を晒すってことなんだろうが、その実際の障碍者を集めてのリアリティはちょっと半端ないもので、大森の決意というか、今の時代への反意の表明なんじゃないかろうか。
一見、正論に見える部外者からの彼らに対する思いやりとか善意ってのは、裏返せば部外者のためのものだと考える。俺は。
自己を正当化したいし、そういう善意で鎧をかぶって現実から目を背けたい。
でも、そういう時代に対して、ちゃんと見ろよお前らって言いたいのだと思う。
相模原の福祉施設での殺傷事件を、俺は非道だと非難できないよなって思っている。
それができるのは、障碍者施設で何年間も真摯に介護に携わっている人だけだと思うのだ。
この映画は、現代社会のシステムから零れ落ちてしまった若者たちの自壊しゆくさまを描いている。
彼らは、システムに対して怒りを覚えることさえ知らないし、そもそもそういうものがあるなんて考えない。衝動に従うだけで、サラリーマンを襲いOLをレイプし主婦を嬲る。で、それと等位にヤクザも襲撃する。
そういうデッドスポットに嵌った彼らを見ろ!というテーゼは冒頭のシークェンスと呼応する。
3人の顛末は、ある意味で見事に映画的で、言ったらアメリカン・ニューシネマの残滓のようだが、それがあざとくもないのは思いの本気度なんだと思う。
器から零れ落ちた水は元には戻れないという現実を見ないようにしている我々への問いかけ。全ての社会性から遮断された場所では窃盗・傷害・強姦を阻む倫理も崩壊する。その果てには自壊しかないのだ。アンチヒロイズムの極北。到来するそういう時代への警鐘。(cinemascape)