★★★ 2019年10月8日(火) TOHOシネマズ梅田1
再三にわたり、ゴッサムシティの荒廃した現状が語られるのだが、ニュースの音声のみで、そこをもうちょっと丁寧に描かないと終盤の暴動とその中で格差への怨恨を晴らすジョーカーのアイコンとしての役回りがカタルシスへつながらない。
この映画の中に存在するのは四方八方の悪意と怨嗟のみで、そういう映画も嫌いじゃないが、そこまで徹底する気もなさそうなのだ。
のっけから、主人公は心を病んでいるように描かれる。
センシティブな設定を臆面もなく出してくれると思うし、コメディアンになることを夢見てるということで、なるほど一生懸命にネタ帳をつけたりしているが、てんで面白くもないのでコメディアンなんて夢のまた夢ってことなんだが、ちょっと疑問だ。
それでは、格差社会への憤懣がジョーカーの覚醒と同期していかない。
やはり、そこは、必死でがんばってもうチョイでいい線いったかもしれないのに、社会システムの陥穽に落ちて心を折られたみたいな要件がいるんじゃなかろうか。
7つも薬を服用しているという彼が、社会保障費の削減で薬を切られる。
と、爽快な気分だ!ってなるってことは、元よりの暴力衝動を薬によって押さえ込まれていたとも読めるので、それやったら色々描かれてきた被虐史のあれこれはなんやったんやとなる。総じて物語の論理的構築は放逐されていて場当たり。
演技が絶賛されているホアキンだが、もとよりサイコな怖さを備えている役者なので、いわば本線上のキャラクターと言える。意外性はなかった。
社会との関係の中で悪は形成されるとすれば彼は断ち切られたところで足掻いてるだけだし、根源悪だったとすれば描かれた被虐は何だとなる。抑圧が弾け沸騰するゴッサムでの少年ブルースと対峙といった大構えなクロニクル味が取ってつけた風になりつまらない。(cinemascape)