男の痰壺

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惡の華

★★★★ 2019年10月11日(金) TOHOシネマズ梅田7

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 原作未読です。

中二病を病んだ少年が、本物に出会って自虐感にとらわれ、自らも本物になろうと足掻く話ってことでいいのだろうか。

その本物ってのが、玉城ティナ演じる女子高生なのだが、見てる方としては、さあどこまで本物やねん、と手ぐすねひいて見るわけで、そういう意味で難役であると思う。

ティナちゃんは、ハードルの高い役に挑んでよく頑張ってると思いました。

まあ、可愛いから許すって面もあるんですが。

 

俺は、しょーもない奴らと合わせてやってるが、全然、天才なのであって、いつか奴らの及びもつかないところへ行く男なのさ。

って日ごろ考えてるのが中二病なんでしょうが、それ、ガキの頃の俺やんけと見てる間、胸苦しい思いをしていたわけで、でも、現実にはティナちゃんは決して現れることはないわけであります。そのうちに色々現実を知って、俺って天才感は雲散霧消する。

 

この物語は、そういうあっち側の人と出会って、それでも寸でのところで引き返せた、乃至は引き返してしまった、或いは一緒に行ってやれなかった自分のかつての思い出を苦渋と懺悔と、おそらく幾ばくかの安堵をもって見つめ直す物語だ。

おちゃらけ三昧を旨とする井口昇としては、初めて衣を脱いで撮った映画といっていいのではないだろうか。

 

中二病を病む頃、あっち側に本気で行こうとする者こそが本物だった。後年、それは単なる破綻だったと嘯くより行けなかった自分を悔恨に塗れ問い続けるべきと全ての大人が葬った何かを喚起する試み。終盤、留まり続けるティナの透明さが痛々しくも美しい。(cinemascape)

 

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