★★★★ 2019年11月9日(土) テアトル梅田2
5年近くもお蔵入りになったという、この映画をめぐる背景についてだが。
そもそも大阪市が母体となって運営されているCO2という映像制作にかかわる助成団体に企画を通して製作されたが、西成のあまりにアンダーグランドな実態を描いたために市担当者のお冠にふれて修正を要求される。作者はそれを拒否して自主製作に切り替え何とか完成に漕ぎつけた。
とまあ、公式HPで知りえた情報だが、そんなとこらしい。
俺は、ここまでの経緯は致し方ないと思う。
なぜなら、維新政権下で都構想を推進する大阪市は西成を特区指定してまで、他区との均衡化をはかろうとしている。でないとみんな西成と一緒の区割りはややあ!となって話がこんがらがって進まないからだ。
そういった政策が良いか悪いかは判断しかねる。都市からアンダーグランドなエリアは消滅することはないと思うからだ。
でも、大阪市が下した判断は公務員が下した判断として当然の帰結であって、そこを始動段階でうまいことダマくらかして企画を実現にのっけたことはありだと思う。
松竹で、かつて大島渚が、テキトーなこと言って城戸四郎をかわし「日本の夜と霧」をゲリラ的に撮ってしまったことを連想さえする。
ただ、問題はその後であって、これが5年ものあいだお蔵入してしまったのは誰のせい?って思うのだ。
まあ、事情を知らない俺が言っても詮無いが、ここで、またぞろ公権力を撃ってさえいれば良しの左派のアジテーターが大阪市を標的に言論自由の封殺だとか言うのはお門違いじゃなかろうか。
撃たれるべきは映画興行界じゃないっすかね。それと、それを後押しできなかった我々観客だと思う。
とまあ、ぐだぐだ述べてしまったのだが、映画はおもろかった。
ちょっと、渡辺文樹みたいな感じがした。
要は、悲惨と悲愴の狭間でゲスがゲスを食い物にしてメチャクチャやってたら挙句に哄笑が喚起されたみたいな。
弱者は、ところ変われば新たな弱者を見出して抑圧者となるって所詮どいつもこいつもクソやんけみたいな諦観への同意みたいな。
シャブ打ち兄さんの案外の礼儀正しさのあと、外に出たら反転、強面な輩が絡んでくる
結局そうなるわな的な。
引きこもりの兄を演じた本山大が良い。素に近い演技なんだと思うが見たことのない引きこもりを体現していた。
引き籠りと西成がどう連関するのか進む方向暗中模索の挙句に転がっていく展開が予想外にゲスな自己を吐露していく自爆映画として虚実の狭間で揺蕩っている。ダメを演じてるのでなく本当にダメらしい奴がトランス状態で節理の境界を越える。兄弟はどこ行った?(cinemascape)