男の痰壺

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嘆きの天使

★★★★ 2019年11月17日(日) プラネットスタジオプラス1

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子供の頃にTV放映で見て、トラウマになるくらいの衝撃を受けた記憶がある。

それから随分と歳経てどうやろかと思ったが、サディスティックなまでの甚振りと嗜虐の怒涛の流れは、まあ、そこに特化したような展開なので揺るぎがない。

しかし、見てる間、そうやって年甲斐もなく若いおなごに入れ込んで自滅するおやじがそんなに憎いんか!とおやじになった今、思ったりもした。

もう、ええかげんにしたらと思ったりもしたが、哀れ親爺は教師の職を捨てて、一座のお荷物となり果てる。そして、かつての地元での興業で精神に異常をきたす。

コケコッコーの苦し紛れの雄叫びのは、子供心のトラウマに刻印されたのであった。

 

ただ、ラストは俺の記憶から抜け落ちていて、ああ、こうやったんかと思った。

不覚にも「フランダースの犬」の少年ネロが親爺にだぶった。

長い辛苦の果ての安らぎが死であったというアンチモラルな帰結への懐疑を超えて、それでももう死しか残されていなかったということへの危険な確信。

被イジメの果ての自殺や老老介護の果ての心中を連想した。

 

若いディートリッヒの肝の据わった佇まいは完璧に物語を担保している。

 

下宿と教室を往還するだけの狭い世界観は扇情世界の端っこに触れただけで瞬時に崩れ去る。それを甚振るかのような嗜虐の積み重ねがコケコッコーで完遂されるのだが悪意の奔流にゲップ出そう。しかし、長い苦しみの果ての眠りを慈しむかのような視線は暖かい。(cinemascape)

 

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