男の痰壺

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スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け

★★★★ 2019年12月24日(火) 大阪ステーションシティシネマ

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1作目を見たのが高校生のときであり、梅田のOS劇場で見たのだが、満員で1番前の1番端の席しか取れず見上げたシネラマの巨大スクリーンが歪にゆがんで見えたのを覚えている。それから半世紀近くを経てサーガの締め括りだそうだが、土台、俺には近年の3部作があの高校生のときに見た映画と地続きには見えないので感慨なんてぜんぜんありません。

 

単純に面白かった。サーガの締めくくりがこんなんでいいのか?とも思わなかった。

主人公の出生の謎がどうのこうのっていう話やったんやと見ているうちに気づいたくらいだから余り本気で見てこなかったんでしょう。見てる間ルークとレイアが兄妹でその親父がベイダーで息子がカイロ・レンでとか家系図を整理することにいまさら気を取られていて、はあ、であるからレイって誰?みたいなことに思い至ったのが中盤くらいであります。

 

【以下ネタバレです】

 

で、終盤。ってことはレイはスカイウォーカー一家となんも関係ないやんってことに思い至ったのであったが、それに対してもさよかくらいにしか思えない。

一族ってのが血のつながりを重視するってのは日本人は天皇家の世継ぎ問題を見ても明らかでなのですが、この結局は一家となんの関係もなかったっていう女性がスカイウォーカー姓を名乗って新たな時代を切り開いていくっていう幕切れは血よりも大事なもんがあるっていう決意表明に思えた。最後はちょっと感動した。

 

この3部作を通しての肝はレイとカイロ・レンの連帯と反目がずーっと連綿と続いて敵同士かと思えば共闘するっていう振り子のようにゆり動く心理の綾だ。反目しあいながらときに助け合う男と女ってのは極限状態の中で仄甘い旋律を奏でる。

「フォースの覚醒」ではヘタレ兄ちゃんにしか見えなかったアダム・ドライヴァーが自身の役者としてのキャリアを積み重ね、本作では実に堂々とカイロ・レンとして存在している。ダークサイドに振れたはずの男が母ちゃんにちょっと言われたくらいでこっち側に戻るんかいなの疑念は存在感の前に押さえ込まれた。

 

突出した見せ場に欠ける括る為の最終話だが、レイとレンの反目しながら同類相惹き合う嬉し恥ずかし要素が昇華形として顕現するライトセーバー転送の件は佳境。途絶えた血族の名前は外部の継承者によって伝承される。これはこれで夜明けに値する納得の結末だ。(cinemascape)