★★★★ 2020年1月28日(火) TOHOシネマズ梅田5
冤罪もんってことになるのだろうが、よくある容疑者・検察・弁護士・マスコミの駆け引きが錯綜して虚実が混濁するような話ではない。
主人公が嫌疑をかけられた序盤で、サム・ロックウェルの弁護士が助手と歩いて時間を計る。事件現場から犯人が犯行声明を電話してきた公衆電話までであって、絶対間に合いっこないやん!ってことで主人公はシロ確定。
だが、現実世界ではシロもクロに塗り替えられる。
イーストウッドが近年になって連作している、実在人物の実事件シリーズってのだが、いったい御大の何の琴線に触れてそうさせているのか。
事件の突拍子もない展開とかではなく、人が人生の中で窮地に陥ったときにどう対処し乗り切れたかの成功例に御大は惹かれている。
ってことなんでしょうな。
なんでやろか。人は老い先が見えたときに、輝かしく真っ当な人生の断片ばかりを思い浮かべると言う。それに近いんちゃいますかね。
そう考えると100歳を超えて撮り続けたオリヴェイラの人間嫌いのドス黒さってのはスゲーと思うのだ。
演出で何かを企てようなんて思いは全くない。
そういう御大の掌の中で、彼が選んだ役者が十全に自走し映画を成立させている。
サム・ロックウェルが牽引車だが、飛び道具はキャシー・ベイツ。
久しぶりに見たが、完全に自分の色を消しきった風情には泣ける。
反撃だ!と気合入れたって怒涛の展開なぞ起こらない。現実とはそんなもんさという枯れた達観が映画からアクを拭い去る。悪意や偏見という撃つべき対象への剥き出しの憎悪も影を潜める。その最早境地としか言いようがない掌の上で役者たちは十全に自走してる。(cinemascape)