男の痰壺

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37セカンズ

★★★★ 2020年2月9日(日) MOVIXあまがあき3

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見てる間、1981年の映画「典子は、今」が頭をよぎった。

あれも、サリドマイドで両腕が無い実在の辻典子さんに映画の主役を演じさせていて、この映画でも脳性麻痺で下半身が動かない佳山明さんという女性が主役を演じている。

ただ、40年を経て、そういう障碍者を描くにおっかなびっくり感がここまで変わったのかとの思いもあった。

 

障碍者の性というものに踏み込んだ内容だったからだ。

ただ、悶々として性欲の処理に困っていますでは余りに内向的なので、漫画家として身を立てるために取り敢えずエロ漫画を志向するという設定がなされていて、編集者に実経験の無さゆえのリアリティの欠如を指摘される。

で、彼女は夜の街に出てデリヘルで男娼を呼ぶ。やってきた男はプロらしく彼女を見ても冷静に対応する。でも、始まってエクスタシーを感じ出したら排便してしまう。

下半身の感覚がない人が自身の排泄行為をどのように感知するのか寡聞にして知らないのだが、あり得る話だと思った。多分、いろんなリサーチから取り上げられたエピソードだろう。

 

映画は、そんな彼女を決して惨めったらしくは描かない。で、もちろんだが、訳知り顔の同情や慈悲なども寸分もない。障碍者に向き合う視線は基本暖かいがニュートラルでバランス感覚が秀でていると思った。

 

前半は、そういった性の問題と、母親との確執と自立へ向かう彼女自身のアイデンティティが殻を打ち破って確立されていくさまが絶妙に共存して傑作だと思った。

しかし、後半になると性の問題は放逐され、出自をめぐる自分探しみたいになっていく。前述の「典子」も1人旅に出かけるってのが後半の展開であった。

前半の研ぎ澄まされた攻撃性はトーンダウンしたように感じた。

 

佳山を囲んで主要な役を演じた神野美鈴、渡辺真起子大東駿介の3人が素晴らしいのだが、ピンポイントで使われた渋川清彦、石橋静河尾美としのりも印象的である。

 

障がい者の性欲という際どい課題は仕事を通じたアイデンティティの確立や母親の庇護からの脱却とリンクされる。その物語方便の虚構は佳山明の実存の圧倒の前で気にならない。しかし、それらが放逐され俄に舵を切った自分探しは少なからず形骸的で惜しい。(cinemascape)

 

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