男の痰壺

映画の感想中心です

おもひでのしずく (2003年2月10日)

※おもいでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。

宗教

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先週、アルバイトのA君が危険信号(逃走するかも知れない)を発しているのを、ここ2,3ヶ月で嫌がおうにも身についてしまった動物的嗅覚で察知した俺は、すかさず彼を飲みに誘ったのだ。
彼の発していた危険信号とは、すなわち…
「ぼくも、もういい歳ですから…」
「こんなんしてていいのかと最近ちょっと…」
とかの、日常会話の端々に現れるサインである。そして、俺は想定問答を無い頭で構築し、
「今の求職状況はお前の思ってるほどヤワじゃあないぜ!」
「他の仕事決まってからでいいんだよ、ここ辞めるの、ねっ」
とかの何の足しにもならない答を一応用意したのだが…。

居酒屋で席についた俺に彼の発したことばは
「出家しようと思ってるんです」
であった。
「えっ…」絶句する俺。
「実は、ぼく○○の信者なんです」
「えっ…」後ろずさる俺。
○○とは何年か前に景山民夫小川知子が入信してるので話題を呼んだ新興宗教の名前であった。そして、彼は自分の人生を語りだしたのである。色々な挫折があったらしい。で、結局
「ぼくには、もう他にないんです。」
ときた。
正直、その教義を知ってるわけじゃないし、そもそも宗教とは生まれてこのかた殆ど無縁だった俺には本当に「他にない」のかはわからない。
ただ、「他にない」者ばっかりを終着点として集めている宗教は、やっぱり嘘臭いと思う。「他にある」者が、それでも疲れ果て、再生せんが為の休息所、救済所として機能するなら宗教は素晴らしいものと思う。だが、臭ってくるのは、敗者がすがる一種の選民思想的、ユートピア的胡散臭さのみで、全く信じる気がおこらない。
世間では疲れきった人々が満ち溢れている。新興宗教が、それを次々と食いつぶしていくのであろうか。