男の痰壺

映画の感想中心です

事後の世界

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先日の日経新聞に転載されたフィナンシャルタイムズの投稿記事「無極化した世界」をつらつら読んでいると、ふと映画「日本沈没」の1シーンが頭をよぎった。

映画の後半で島田正吾フィクサーが自身のシンクタンクで結論づけたプラン4を丹波総理に言う。もう何もするなと。丹波は最後まで世界中に頭を下げてでも1人でも多くの日本人を受け入れてもらいますと涙ながらに決意を述べる。

 

先述の記事では、今回のコロナ禍がもたらす世界は無極化し1930年代に近似すると書かれている。それは、第2次世界大戦の始まる前の10年で、日本は満州事変に突入しドイツではヒトラーナチスが台頭した、そういう前兆をはらんだ時代が再び到来するかもしれないということなのだ。

 

もちろん、今回のコロナ禍で当面は対症的な政策を優先するのは当然なのだが、あげて休業補償を要求するようなメディアやSNSのワンサイドな論調が短視眼的に思えて仕方ない。であるから安部総理の「全部補償することは無理」や大阪の吉村知事の「そんなお金はないんです」は、よく言ってくれたと思うのだ。だいたい30万や50万や100万とかのお金をもらって。どんだけ凌げまんねん。せいぜい1、2か月でしょう。そのあとは、どないしまんねん。さらに金だせでっか。結局は自力再生しかないんです。まあ、騒いでるのは自身が安全圏にいるやつらばっかりなんでしょうけど。

 

俺は間近で富士山が噴火する状況で事後の日本の行く末に真剣に活路を模索する丹波総理のありかたを心に刻み込んでおこうと思う。