先崎彰容著 新潮新書
何ヶ月か前、BSの時事トークを見るともなしに見ていて、この人の言ってることめっちゃしっくりくると感じました。
何がしっくりきたのかと言うと、メディアやネットにあふれかえる批判や攻撃のワンサイドな均質化に疑問を呈していたからです。
俺はアベに対する偏執的なまでの昨今のパッシングに気持ち悪さを感じていて、好きでもない野郎を判官贔屓で応援したくなっちまう苛立ちを覚える。
本書は8章からなるが、俺の知りたかったことは最終章に集約されている。なぜこんなことになっちまったのかを解読する試みであります。
俺なりの意訳。
自己確立がなされていない不安定な存在がネットによって情報の奔流に晒されて揺らぎ苛立ち、自己否定が過度なマジメさに、他者否定は過度な攻撃につながる。
先だっての賭けマージャン騒動のいかがわしさは成る程こういうことかと思わせられます。
著者は再三「辞書的基底」ということばで喪失されたものの正体を論じるんですが、そのへんは今一ピンときません。(だいたいこのネーミングセンスもうちょい何とかならんのかと思います)
ネットのない時代に生まれ育った俺なんかの世代と違い、今の子は物心ついたころからスマホの中の情報に晒され続けている。市井の人々がいわゆる常識ってやつを共有し伝承してきた時代は終わり、液晶内にあふれかえる情報が世の中を形成していく時代がやってきている。
おそらく、こういうワンサイドなパッシングの嵐は今後ますます普遍化してゆくんだろう。
風呂の中で世界の平和に思いをめぐらせ嘆息していると突如ナガブチの霊が憑依して俺はこう叫ぶのであった。
ろくなもんじゃねえ〜!
消え入りそうな声でピーピーピー
老兵は死なず消え去るのみ
うーむマンダム