男の痰壺

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たかが世界の終わり

★★★★ 2020年5月30日(土) 大阪ステーションシティシネ10

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「マミー」にはカサヴェテスを感じだが、これはベルイマンを意識してると思われる。感情の妥協的な相互の寄り掛かりはビタイチない。あるのは絶望的な孤絶感だけ、兄弟・親子なのに。

そういった確執を、全体の8割くらいをクローズアップが占める技法選択で描く。まあ、それが成功してるかどうかはともかく「マミー」のアスペクト比同様チャレンジングだ。ヴァンサン・カッセルやレア・セドゥといった爬虫類系の冷血顔を揃えたのも効いて、アップ芝居の連続が居たたまれなさ身の置き所のなさを倍加する。

 

物語は、家を捨て奔走していた次男が何かを家族に告げるために帰郷する。で、結局は告げずに再び家を後にするのであった。

と書くと身も蓋もないが、病に冒され冷や汗たらしながら、次男は家族の懊悩を受け止め続けるし、況や母親ナタリー・バイは彼にその役割を命じる。

まるで受難を予知したイエス・.キリストになれとばかりに。そして、次男は従容としてそれに従うのだ。

 

一家と唯一血縁関係でないマリオン・コティヤールの兄嫁は、さながらマグダラのマリアなのだろう。しかし、彼女も遠くから見守る以外になす術はない。

救いようのない映画だが、なんだか覚悟表明のような峻厳もかんじさせる。

 

剃刀の感情を剥き出しにする家族に放蕩息子は為す術もない。己の告げねばならぬ煉獄は行き場を失い瀕死の思いで母の請願に従う。アップ使いの連鎖が閉塞を加速するなか現代のイエスの救われぬ帰郷は死によってしか精算されない。希望の欠片もない深淵の吐露。(cinemascape)

 

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