男の痰壺

映画の感想中心です

AKIRA

★★★ 2020年6月7日(日) TOHOシネマズ梅田9

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80年代の連載当時、ヤンマガは読んでたし、あのどでかい単行本も買っていた。で、この映画化作品をなぜ当時スルーしたのかと思うに、大友の完成され尽くした漫画が、あるべき地平まで行き着いてしまってると思ったのだろう。モーションピクチャーとしての映画は寧ろその極まった世界を貶めてしまうのではないかと。

というわけで、今回の4Kデジタルリマスター版が30数年目にして初見なのであったが、CGが飛躍的発展を遂げた経年がもたらすセル画ゆえの技術劣化の印象を差し引いて尚、凡庸の感は拭いがたかった。

画の段階で完成された建物や機械への偏愛的細密や異能者たちの特異なキャラ付けといった大友的意匠を除くと高低や遠近を十二分に活かした活劇性は例えばジプリの諸作に比べて見劣りする。

 

覚醒した鉄雄のスーパーサイヤ人的相貌や新旧が混濁した未来都市の景観など、「ドラゴンボール」や「ブレードランナー」といった80年代の代表的アイコンとの相互侵食も感じられるが、どっちが先かとか言っても詮無いことである。むしろ、くすぶり少年が超常能力を得て下克上の石森章太郎的な普遍のルサンチマンの横溢が意外であった。そういう意味では原作にあった敵対暴走族への報復シークェンスがカットされたのは残念だ。「童夢」から連なる最も大友的な静止画がもたらすシーンの奥行きへの想像喚起が炸裂した挿話だと思うからだ。

もっともそれは全体を通しても言えることで、動きを得たことで喪失したものが大きすぎたと思うのだ。映画と原作の関係性をあらためて考えさせられた。

それにしても「童夢」は映画化されないのか?

 

ある瞬間を永遠として留め置くことに卓越する大友だが、前後に延伸する時間軸を映画的な活劇性に置換する能力があったか疑問。力作だが原作を超えるものも何ひとつない。枝葉が切られた性急な鉄雄のルサンチマン反転独走は結果石森世界と近似する。(cinemascape)

 

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