★★★★ 2020年6月20日(土) テアトル梅田1
イスラム教について大して知っているわけでもないのだが、原理主義的な先鋭が非イスラムの社会と軋轢を深める中で排他的なテロリズムと接続していく状況を改めて考えさせる映画だ。
ダルデンヌ兄弟は、イスラムを否定する立場では当然にないわけであろう。がしかし、社会的自我が形成されるまえの子どもを洗脳するような行為は指弾して止まない。況してやそれが殺人やテロルにつながるのなら尚更。
映画では洗脳される過程は描かれない。
であるから、そうなる社会システムがどうなのかの究明という点に於いて物足りなさがある。
だが一方で、一旦洗脳されてしまうと抜けられないという絶望はいやというほど描かれる。
マシーンと化した少年が、ことを遂行するのに脇目もふらずひた走る終盤は、活劇性とサスペンサブルなエモーションが融合され純粋映画とでも言いたい見せ場となっている。
しかし、ことの顛末と土壇場で口にされる悲痛な呼び声に我々はあらためて気づかされる。
彼はまだ母の庇護が必要な子どもであったことに。
社会の歪みによって数多の悲劇が生まれざるをえないとしても、これだけは確かだと言える。
子どもたちに歪みの皺寄せを負わせてはならない。
イスラム原理主義が西欧的に鈍化されるべきとまでは言ってないが、それが排他的テロルに接続することへの不承認。況してや未成熟な子どもの洗脳への怒りの表明。マシーン化した彼は脇目も振らずに直走る。直截描法が活劇性に至る。そして帰結する少年らしさ。(cinemascape)