★★★ 2020年7月4日(土) 新世界東映
大真面目すぎる情の表出が身上の加藤泰としては、このキッチュなオフビート感は異形といっていいだろう。
で、それが上手くいってるかっていうと、どーもなんだかなーです。
ミッキー・カーチスがギターを持って登場する。キタキターと身構えるが寸止めレベル。その後、ミュージカルっぽく弾けそうな局面が尽く弾け損なってます。
まあ、徳川・豊臣の覇権争いの最川下で、振り回されて戦わされる農民のそのまた下の下忍たち。白戸三平の無常感にも通じる諦念と苛立ちは、あからさまに当時の学生運動に擬えられる。意図はいいが生乾き感は否めません。
60年代の日本の撮影所システムが徐々に陰りを帯びはじめるなかで、東映というシステム内でアナーキーな胎動を感じさせたのが加藤泰であったことに意外感がありました。
それは、東宝、日活でプログラムピクチャーを量産しながら枠内で滾る想いを叩き付けた喜八や清順の仕事と同期してるように思えます。
各々がその後に内的想いを純化させた作風へと凝固していくのも同じであります。
そういう映画史的な感興をおぼえました。
是に従い敗軍に与するセンチが錦之助の朗々語りで総括されるあたりが肝だが、宇宙人からギターまでが混在するキッチュなオフビート感は須く寸止めだ。ド真面目な加藤泰では御し切れない題材。一方で美佐子絡みの哀感は切々たる情感を漲らせる。(cinemascape)