※おもひでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。
読書二題
●絶望の果てにしか希望は存在しない
川上未映子の「乳と卵」を読んだのだが、
で、少し前に、西加奈子の「通天閣」を読んだときにも思ったのだが、
最近の関西出の女たちが描く世界は、なんで又、こうまで八方塞がりで遣り切れないまでに救いがないのだろう。
いや、両作品とも、最後の最後に救いらしきものは、一応提示はされるのだがね、あくまで一応的なみみっちい救いなのだ。
一方で、こういうどん底気分は、たまらなく、俺の神経に馴染む。
チャラいもんは唾棄したい。
地獄をくぐってこそ掴める何かがあるんだと思いたいのだ。
●何が正常かが見失われた世界ではアンチモラルにこそ倫理が宿る
ステーヴン・キングの短編集で「十時の人々」というのを読んだ。
これは、世界の片隅に追いやられつつある喫煙者だけに、今まさに世界を浸食しつつあるインベーダーたちの真の醜姿が見えるという内容。
これを読みつつ、俺は長編「セル」を思わずにはいられなかった。
あれは、進行する世界のある瞬間、そのときに携帯電話を耳に当てていた者すべてがゾンビ化するという話であった。
この2編で、キングが叩きのめすのは「携帯中毒者」と「嫌煙者」である。
異常な世界の中で、こういう正常な倫理観に立脚した作品を読むことで俺は救われる。