男の痰壺

映画の感想中心です

おもひでのしずく (2011年6月11日 (土))

※おもひでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。

 

50歳の宴 或いは老いについて

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「こらー!あほんだらボケ~」
その鶴瓶に似た男は大声で叫びつつ俺のいるテーブルに近づいてきた。
1ヶ月ほど前の日曜の昼過ぎ。
梅田は芝田町の寿司レストランの2階席。

10年近く会ってなかった先輩から電話があった。
「いや、久しぶりに『太陽を盗んだ男』見てたらお前と話したくなってん」
と言われたが、あまりピンと来なかった。
むしろ何やら胡散臭い感じがしたが、まあ、懐かしくもあり日曜の昼間に会うことになったのだ。
11時に紀伊国屋前で待ち合わせ、開いてもいない寿司屋の前でじーっと待っていたら、気の毒に思ったのか入れてくれた。
ビールで始まり、お互い焼酎と日本酒に切り替え終盤は泡盛と延々と飲み続け3時ころまで飲んだであろうか。

50過ぎた親父が2人。
日曜の真昼間に茶屋町界隈の路上でグデングデンになってふらつく様は、正直かっちょ悪い…と今なら思うが、酔ってる最中には思いもしない。
「おい、あいつ呼ぼうぜ」
あいつとは、これも又最近10年ぶりに頼みごとがあって会った俺のドッペルゲンガーを見た先輩なのだが、
「いきなり電話して来るほどヒマでもないだろう」
と思いつつ電話をすると2つ返事でやってきた。

3人で、かっぱ横丁の飲み屋に入り、又延々と飲み出した。
何を話していたのかは最早定かではない。
鶴瓶に似た先輩は3本の「キングコング」(3本とはM・C・クーパー版とJ・ギラーミン版とP・ジャクソン版)の中で一番の傑作はギラーミン版との説を延々と開陳していた気がする。
ドッペルゲンガーを見た先輩は山下敦弘は俺が育てたと豪語し続けるのだが、その割りに「マイ・バックページ」で妻夫木の後ろで俺写ってんねんと小さな喜びをめっちゃ嬉しげに語り続けていた気がする。

その日、夕方6時に散会した俺たちであったが、俺が家に帰り着いたのは11時を回っていた。
延々と電車の中で眠りとんでもないところまで行ってしまったのだ。

4月に50歳になってしまった。
やはり色んなところで衰えを感じる。
で、冒頭の話だが、俺がトイレに行った直後に先輩が行って、俺の流し忘れた大きいのをモロまともに見てしまったのだ。
そんなもんを流し忘れることなんか、俺の人生で初の経験であった。
これが衰えというもんなのだろう。