男の痰壺

映画の感想中心です

歴史は夜作られる

★★★ 2021年1月11日(月) プラネットスタジオプラス1

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夫婦や恋人といった男と女の間には、たいてい2人にだけしかウケないパーソナルな思い出みたいなのがあって、映画はそこらへんを具体的に且つロマンチックに造形・創出することでご婦人方のハートを鷲掴んできたのである、多分。

この映画の場合は、深夜のレストランでのダンスで彼女が踊りにくい靴を脱ぎ捨てて裸足で踊ったってことなんです。それが、中盤でもリフレインされる。もう婦女子メロメロだ。

 

一方、男の俺が最も覚醒したのは、パリから女を追ってニューヨークまでやって来た彼が、目をつけたレストランで、まんまと給仕長の仕事を得る顛末で、まあ、少しあからさまに過ぎるとはいえ、出来る男の身の処し方として楽しい。

 

そんなんで、この映画、いいところも多いんですが、それでも終盤の海難劇がどうしてもとってつけた感が拭えない。

 

一方で、主役2人をとりまく人物の造形も歪に突出している。

ジーン・アーサーの夫は海運王とまで称される大物なのだが、女房を繋ぎ止める為に殺人を犯し、ひいては3000人の乗客もろとも客船を海の藻屑と化しようとする。あり得ません。

シャルル・ボワイエの同僚のシェフはパリからニューヨークまで名のとどろくほどの名人だが、恋人を追ってニューヨークまで来たボワイエにのこのこついて来て、一緒にそこで就職、そしてパリへの客船に乗った2人を追って自分も密航、ってどんだけボワイエ好っきゃねん。

 

過剰すぎて、こういうのは好きなんだけど、この映画の場合はやっぱバランスを失していると思いました。

 

思い出の夜の脱ぎ捨てた靴が形成するロマンティシズムやホスピタリティを担保する能力主義など男女脳ともに刺激する展開だが終盤は怒濤のように逸脱。3000人を殺しかねない焼餅夫と世界の果てまでボワイエ追っかけシェフ。海難劇ともども転がりすぎ。(cinemascape)

 

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