モリの「女性が多いと会議は時間がかかる」発言やけど、性や人種、或いはマイノリティへの偏向した見方が袋叩きにあう今の時代への肌感覚が全然足らんかったわね。
でもね、俺ら男からすれば、ぶっちゃけ内心では「わかるー」って思ってる奴多いんちゃうやろか。
又かの上沼恵美子談引用ですが、彼女の十八番のひとつに、子どもが小さかった頃のママ友の話ってのがあって、幼稚園のお見送りしたあとのママ友たちとのいつ果てるともない噂話や悪口なんかの会話は無限にループして結論には辿りつかないのだそうだ。その輪から最初に「用事があるんでお先に」と抜けようものなら今度は自分が話のエサにされる。
個人的にも女房が話し出すと、そのループして行きつ戻りつする話の結論がいつまでたっても見えてこないことは間々あることで、男の脳は、そういう非論理の藪を彷徨うことには耐えられない。思い余って「結論なんやねん」と話の腰を折ったら怒り出すので、法事で坊主のお経が早く終わらんかなと耐える如くに瞑想状態に陥るのだが、そんな時いきなり「どう思う?」とか聞かれて全く聞いてなかったことに気付くのである。
要はモリの不用意な発言は、そういった人生における男と女の生理学上の差異に由来する忍苦の歴史から形成された心の中の圧殺されてきた本音なんだろう。
世の中には身障者にあからさまな罵詈雑言を浴びせるような年寄りは山ほどいるんです。
そんなんからみたらかわいいもんじゃないっすか。