★★★ 2019年1月29日(金) TOHOシネマズ梅田9
時代の変遷の中で朽ちていくヤクザ組織の挽歌ってことなのだが、その朽ちて行くってことの中に古き良きものが潰える美学みたいな常套のテーマは差し込むことはできない。
だって「反社」なんだもん、ってわけで暴対法のリアリズムを持ち込んだ時点で虚構世界に立脚した従来型の任侠映画や実録路線の世界からは違う地平に立たざるを得ない。
従って、この映画、カタルシスのかけらもありません。朽ちていくものの哀感とかをフィーチャーしてるが、そんなもの今更感じたくもない。第1章と2章でブイブイ言わせてた綾野剛は日和って家庭人になろうとする。挙句に家庭大事の内輪揉めで彼らは自壊するのだ。
嘘でもいいから、撃つべきものを見据えて、斬り込んでほしいと思いました。じゃないと、この映画を撮った意味なんて引かれ者の小唄のマスターベーションだけやん。
演出には力量を感じます。冒頭の長回しなんて、どんだけ凄いもん見せられるのかとゾクゾクしました。
役者陣もジャンルの新しい血流を期待させる出来です。北村、豊原、康、駿河が新鮮だし市原もさすがの目力。ただ、舘ひろしはどうもね、豊原との対峙シーンでは位負けしてるように見えました。
どんどん朽ちていき潰えるだけの物語だが哀れよのおの感慨だけでは遣る瀬無い。撃つべきものは薬物の新たな流通を担うアンダーグラウンドな層であり、或いは善人面した民意ってやつだと思うのだが。役者は総じて舘以外健闘。演出も冒頭の長回しはじめ良。(cinemascape)