★★★★ 2021年2月13日(土) 大阪ステーションシティシネマ4
ヤクザがカタギになろうとする。同じようなモチーフの映画が同時期に2本並んだのは、やっぱそういう時代になったってことなんだろう。まあ、シノギが叶わず已むなくっていう「ヤクザと家族」と違って、こちらは能動的にカタギを志向するんですが。
それがうまくいかなくて、あっちいったりこっちいったりの展開は、どうも一体なにをズドーンと筋通して語りたいのか、結局のところ見えて来ませんでした。
興味深いエピソードは各所にある。
生活保護の申請をめぐるあれこれ。
主人公の階下に住む外国人労働者。
東北の災禍を経験したデリヘル嬢。
これら、社会的な今を照射するであろう要素は極めてつまみ食い的にしか語られない。
多彩なキャラ群も深耕されず主人公に関わる度合いが生半可だ。六角精児のスーパー店長もそうだが、最も失望したのは長澤まさみのTVプロデューサーで、彼女は太賀のディレクターとしか関わらない。これじゃ役不足であろう。
終盤、主人公が介護施設に職を経てからは、展開が辛うじて強度を増す。それは、キレやすい彼が人生で初めて耐えることを描くという目的が明快だから。
発達障害の職員が同僚から虐められている。義侠心のある主人公は割って入って虐めている奴らをとっちめようとするが、寸でのところで思いとどまる。これは、映画の前半でカツアゲされてるサラリーマンを見てチンピラを半殺しにするシークェンスが効いて主人公の生活者としての哀しいリアリズムを浮き上がらせる。
結局は、虐めてるように見えた奴らにも、それなりの理はあったってことになります。
元妻と娘との再会の予兆を含めて、映画は筋を獲得したように見える。この終盤の強度で★1つ加点しました。
でも、それってなんだか山田洋次の世界観みたいで、西川美和の映画としてはそんなんでいいのかって思えるんです。
カタギの生活者たろうとして叶わぬ短気な彼が、怺えることを知るという単線ドラマトゥルギーが西川の資質と噛み合わぬジレンマ。ブツ切りエピソード群は社会の今を照射しそうなのだが須く生半可に終わる。それでも終盤の光明の見え具合には持ってかれる。(cinemascape)