男の痰壺

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聖なる犯罪者

★★★★ 2021年2月13日(土) テアトル梅田2

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そもそもなんでそんなに神父なりたいん?

って本来、初動段階で描かれるべきところをすっ飛ばしてグイグイ進む。それが主人公の若い無軌道とシンクロして映画に勢いを付与する。

 

シャバに出て、少年院から紹介された片田舎の製材所に赴くが、一目見てかったりーってブッチする。でどうするのかって思うと彼の足は自然と教会へ。すばらしくアンビバレントな思考形態なのだ。好きでしゃーないんやね、神父さんって商売が。

 

映画は、結局何が彼を突き動かすのかは、解明しないままなのだが、そういった彼が、思い込みという名の閉塞に絡め取られた地方コミューンを解きほぐす様が描かれる。

若者たち6名の乗った車と男1名が乗った車の衝突事故で7名が亡くなった惨事ってのがあって、その男の妻は、事故後ずっと村八分状態。

主人公は瑕疵はどっちにあったのかに疑問を持って動いたりするが、その手のジャンル映画みたいに熱心でもないんです。

 

無軌道で出たとこ勝負の主人公が、アル中療養で不在の神父の代わりに行う祭祀を見定めるように見守る世話係とでもいうような女性がいます。彼女は事故の被害者の親でもあり、主人公の彼女になる女性の親でもある。

この女性の一見醒めたようで感情を秘匿した佇まいが、無軌道な主人公と交錯することで、映画をこっち側に繋ぎ止めている感があります。

アレクサンドラ・コニェチュナという人で、ちょっと晩年のイングリッド・バーグマンを思わせる風情。

事故後、初めて訪れた教会の入り口で躊躇する男性の妻。振り返った彼女と交わす視線の交錯は篇中で最も心打たれる。

 

映画は絡め取られた主人公が再び飛翔に向かうところで終わるが、それは、あたかも終末的な大騒乱の予兆のようでもある。