何日か前の日経新聞の夕刊に尾崎世界観の「ぴあの向こう側に」という随想が載っていた。
これは、彼がチューボーのときに生まれて初めてライブハウスに行った思い出を書いていて、その顛末も面白かったのだが、前段では彼がタウン誌「ぴあ」のライブ情報を飽かず眺めては未だ知らぬ多くのバンドや演奏や雰囲気を空想していたことが書かれている。
今だと、どんなマイナーバンドでもネットで演奏画像とかは簡単に見れてしまう。それがない時代は空想するしかなかった。
俺の中学時代の「スター・ウォーズ」や高校時代の「地獄の黙示録」といった映画は、アメリカでの公開から1年くらい日本では見れなかった。その間ほとんど情報はないので空想するしかない。で、あまりに空想しすぎてようやっと見たときには空想とのギャップが激しくて落胆したのであった。
でも思うのです。何かに興味を持つ。ネットで検索して解を得る。わかったと納得して思考は断ち切れる。その繰り返しでは世界は収縮していくだけではないかと。
尾崎世界観が、ぴあの誌面を眺めては空想して心躍らせるチューボー時代を過ごしてなかったら芥川賞の候補にあがるようなことはなかったんやろなと思うんです。