男の痰壺

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モード家の一夜

★★★★ 2021年7月22日(木) テアトル梅田2

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これは、2日にわたり違う女と2人きりで一晩過ごすチャンスに恵まれながらなーんにもなかった男の話。

というと身も蓋もないですけど、ロメールは哲学や宗教の言句を会話の中に散りばめるというレトリックで曰くありげな体裁を実しやかに取り繕う。

 

最初がモードというバツイチの女医を友人から紹介され、3人で飲んだあと彼だけ彼女の家に泊まることになる。俺は簡単には女と寝ない男なのさとか言ってソファで寝ると言いつつ結局ベッドへ、でも隣で寝ながら女に手を出さない。が、下心あるのが透けております。なんだか糞詰まりのような展開で女は怒ってしまう。そりゃそうだ。

このモード家の一夜のグダグダな顛末を延々と見つめるロメールの視線はカサヴェテスのそれと似て冷ややかだ。

 

翌朝、教会で遠目に目をつけてた女子大生フランソワーズに出会い降りしきる雪の中危ないからと車で送るが自分が雪のため立ち往生。彼女の家に一晩泊めてもらうことに。でも、私はとんでもない女なのとかなんとか言われて彼女は別室へ消える。マッチを借りに彼女の部屋へ行くがすげない応対であった。

1人ベッドの中でまんじりともしない男。表情の乏しいトランティニャンの押し殺した感情は行き場がない。

 

2日間の顛末は、それまでのロメールの作品同様に随筆風あるいは私小説的に描かれる。ただ本作は、そのあとエピローグで数年後の一幕がある。ここで映画は、俄に中間小説家的映画の色彩を纏う。

 

幸運を手ぐすねひいて逃しちまうような奴には女神は2度と微笑んでくれないのが世の理である。インケツ人生が待っているだけだ。

のはすだが、ロメールはあっけらかんとそれを覆してしまう。処女長篇「獅子座」からそれは変わらない。

 

据え膳食わない理屈を開陳しつつもやっぱ食いたいの本音がダダ漏れする真面目くさったトランティニャンはロメールの現し身であろう。寝室の長丁場から雪夜の僥倖そして落胆と一気に転がる展開。その先には私小説世界から脱却した地平が広がっている。(cinemascape)

 

 

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