男の痰壺

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真昼の決闘

★★★★★ 2021年8月21日(土) 大阪ステーションシティシネマ7

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子どもの頃にTV放映で見てるし、フランキー・レインの主題歌のレコードも持ってました。それにしても「俺を見捨てないでちょうだい、マイダーリン」の曲が、これほど四六時中かかってるとは思わなかった。ゲーリー・クーパーが歩いてるときは大体流れてて、どんだけ情けないおっさんやねんってことなんだが、実際は全然ヤワじゃないです。

 

「正義」というものを大衆は錦の御旗のように掲げるけど、我が身が危なくなれば、そんな理想の旗なんてとっとと下ろしちまう。

これを大上段に大衆=小心でずるこいとやっちまうと図式的なアジテーションと化して耐年性はなかったろうが、クーパーが加勢を説いてまわる人々の対応は実にバリエーションに富んで見応えあります。

 

佳境は教会での場面で、ある主婦が言う。「あんたたち何考えてるのさ、保安官のおかげで今の平和があるんじゃないか」、「そうだとも」と何人かが立ち上がる。見てる方も、よしきた!となるんだが。

結局は、そもそもに保安官が町出ていってくれたら何も起こらないんだと言う町長に加勢派は押さえ込まれる。

このシークェンスは極めてナウに2020年代の日本をも照射する気がします。

 

後任保安官への推挙を断られた保安官補とクーパーと過去に関係があったメキシコ系の女酒場店主。2人にクーパーと新婦グレース・ケリーがからんだ4角関係が切迫した時間軸の中で多面的な視点のドラマを錯綜させる。

このドラマトゥルギーは今の視点で見ても全く古びてないと思いました。

 

我が身を鑑みて加勢するしないの問題に留まらず現状の維持と打破をめぐる政治的な視野に至る点でナウである。彷徨するクーパーとレインの主題歌、時計の進行と駅で待つ3人を執拗に反復しつつ一方で4角関係の緊張が行方を定まらせない。強靭な設計。(cinemascape)

 

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