男の痰壺

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由宇子の天秤

★★★ 2021年10月5日(火) テアトル梅田1

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作劇的に生煮えな感じがする。

主人公の周りで起こる2つの事件があって、1つは仕事として相対する第3者として、1つは身内が絡んだ当事者として関わるわけですが、まあ、火の粉が降りかからないときはご立派なこと言ったって、当事者として火中に入ったときはどうなんよ、と平たく言えばそういう話だ。

 

映画は全篇手持ちカメラ、劇伴なしで2時間半突っ走る。そのチャレンジングな姿勢に長さは感じる間もないし、事件当事者家族へのパッシング、下請けプロダクションと局の軋轢、零細塾経営のあれこれ、闇堕胎の実態など具体的細部が本気度を窺わせて間断するところがない。

 

映画は終盤に両案件の真実にショッキングな反転を仕掛ける。その作劇の連べ打ちのダイナミズムに見る者は持っていかれるわけだが、でもそれって真実の在るところの計り知れない深淵と闇への絶望的な詠嘆であって、「天秤」と題した心のゆらめきとは別の話だ。

 

徒労感とどん詰まり感に塗れて主人公は、一旦傾いてた天秤を大きく逆に振れさせるわけだが、その葛藤が理詰めで納得できるような心の動きとして抽出されていたかは疑問である。

ドラマトゥルギーを纏ってきた映画の流れが、ドラマチックな要因に拮抗し切れなかったもどかしさを覚えるのであります。

 

天秤に例えられた正義を行することへの葛藤が真実は表面の裏にあるとの作劇に振り回され後退してしまい、全篇手持ち劇伴なしで突っ走ってきた2時間半は何だったのかの感。反ドラマトゥルギーは作劇に雲散させられる。取材や経験に基づいた力作だけに惜しい。(cinemascape)

 

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