男の痰壺

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ONODA 一万夜を越えて

★★★★ 2021年10月21日(木) TOHOシネマズ梅田6

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小野田さんがルバング島から帰還したのは戦後30年近くを経た1974年。俺が小学生の時だったが、その2年前にグァムから帰還した横井さんに比べて印象が薄かった覚えがある。メディアにも頻出した横井さんに比べて黙して語らずみたいな印象だった。

 

その理由は、こういうことだったのかと思わせる映画。

それは、多くの仲間たちが死んだのちに自分だけが生き残ったことと、生きる為とはいえ戦争終結後も米兵やフィリピンの民間人を殺し続けた事実の重みを解凍・解消する術がなかったからだろう。

特に後者に関して、戦争経験のない平和な時代を生きてきた俺などは引っかかるものがあるんだけど、戦争という日常的に殺戮を旨とする状態と地続きであった30年は、平和の概念などスッポリ抜け落ちた状態なんだったんでしょう。

 

それだけの思い込みは、彼の真面目な資質もあったのだろうが、形成させられた側面もある。ということで陸軍中野学校の場面があるのだが、そこで叩き込まれるのが「何をしてでも生き残れ」ということ。その呪縛のような教訓を叩き込む上官イッセー尾形の演技は何かの憑依を思わせる。

であるから、ラストで民間人になっている尾形がルバングに来ての対面で「任を解く」と言われて初めて彼は解放される。呪縛は氷解した。

 

外国人監督によるもので、観念的な解釈とかもあるんだろうと思っていたが、平易な写実的描写に徹しているのが意外でした。力作だと思う。

 

殺戮を旨とする戦時と地続きの日常で刷り込まれた教訓に生真面目に向き合う30年を映画は殊更に解明しようとしない。ただ中野学校での「何をしてでも生き残れ」の命はそれだけ強靭だったしイッセー尾形も怪演。そして彼は「任を解く」で呪縛も解かれる。(cinemascape)

 

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