★★★★★ 2022年4月22日(金) シネリーブル梅田1
アスガー・ファルハディの映画を「別離」を見て衝撃を受けて以来見続けているが、だんだん調子が落ちてる感があった。そりゃあそうで、オリジナル脚本であんだけ人の心理の機微を捉えつつ、錯綜する作劇のダイナミズムを叩きつける芸当はそんなに簡単に持続できるもんじゃない。
本作はそういう最高潮時の冴えがかなり戻ってきたような出来だと思います。
完璧な人間なんかいない。正義を振りかざしつつ小狡いことをしてしまい、聖人君子たろうとしてもエロ誘惑にコロッとなびいてしまう。人間とは(っていうか男とは)そういうもんで、でも、得てしてたまたま心が揺らいだそういうときに限って事態は致命的に悪目に向かってしまう。
この映画の主人公は、自己規律がそもそもに相当甘い野郎で、でも根っからの外道じゃないという風に規定されている。だから、物語は面白いように転がっていく。
だが、その目まぐるしく揺らぐ状況の変転の底流に岩盤のように揺らがないものがある。それは、主人公の彼女や息子や姉や義兄といった身内の人たちが彼のことを信じて擁護することに些かも躊躇しないことだ。
この部分が、今回のファルハディ映画が新たに獲得したキモではないだろうか。
映画は現実の厳しさを提示して終わるのだが、それでも幾許かの暖かさの余韻を纏っている。
*この文章を投稿しようとした直前、たっふぃーさんのブログで本作が盗作訴訟を受けてることを知りました。なんでも弟子筋の女性のドキュメント作品からインスパイアされたものだったらしい。なんやねん、もっと上手いことやれよ、ファルハディ。とまあ、あれですがめんどくさいのでそのまま投稿します。
自己正当化の為ついた小さな嘘が事態をどんどん悪化させる。ファルハディ自家薬籠の作劇は取材に基づく設定と融合され目眩くキレ。どうしようもない奴と切って捨ててもいい筈が姉や息子や義兄や恋人は皆こいつを護ろうと必死。家族とは元来そういうもの。(cinemascape)