★★★★★ 2022年5月2日(月) テアトル梅田2
同時期にモノクロの新作が何本もスクリーンにかかっており、1本くらい見とかなと思ってたんですが、老齢のコンチャロフスキー監督作ってことでこれには食指が動きませんでした。だってアメリカで大味な「デッドフォール」撮ったような人ですから。
先日、T先輩と会った折にいきなり「お前見たんか」と聞かれて面食らいました。「コンチャロフスキーは素晴らしい」と言われ「新しい映画でもちゃんとした奴が作るとあれくらい見事な映画になるんや」って、この方、今年になって新作これと「クライ・マッチョ」「ウエスト・サイド・ストーリー」しか見てないそうなんですが。
それでも、言われたら見ずにおれない性で半信半疑で見たら本当に素晴らしかった。
イタリア映画デ・シーカやジェルミのソリッドな仕事を彷彿とさせると聞いたら、例えば「ウンベルトD」や「イタリア式離婚狂想曲」クラスのモノクロ撮影だと思わないでもないが、実際はコンチャロフスキー自身が例えに出している「戦争と貞操」や「誓いの休暇」といった往年のソビエト映画が念頭にあったのだろう。
気合いの乗った丁寧なモンタージュを久々に見た気がする。通常、2、3アングルのショット構成で事足りるシーンを4、5ヶ所からのアングルに分解して感情の機微を抽出しようとしてるみたいだ。冒頭の不倫の濡れ場の冷めたアンニュイはアントニオーニ「太陽はひとりぼっち」を想起させます。
自国近代史の暗部を描く。というのは最近の韓国映画の専売特許みたいになっているが、90歳の老監督は言わずに死ねないと思ったんだろう。ソビエト社会主義政権の始祖レーニンから3代目、フルシチョフ政権下で行われた軍部(KGBが裏で糸を引いたと描かれている)による民衆弾圧(殺戮)を描いたものである。
デモの民衆が押しかけた広場が一瞬にして地獄絵図と化するパノラミックな描写はスピルバーグ級のダイナミズムだ。
映画は後半、デモ鎮圧の騒乱の中で行方がわからなくなった娘を探しての主人公の彷徨となる。彼女はスターリン信奉者で共産党委員会メンバーというバリバリ体制側の人間。知り合って気の毒に思い同道する男もKGB。この2人の設定が民衆側から弾圧を描く通常の声高な被虐史観とは違う怜悧な佇まいを映画に付与している。
まあ、KGBにも人情のわかる男いましたんやでーってのは、プーチン政権下で製作されるためのバランサーなのかもしれません。でも、それは瑣末なことで些かも映画の価値を損ねるものではない。
しかし、ウクライナへの武力侵攻が起こなわれるという状況激変の今、コンチャロフスキーはどう思ってるやろか。
モノクロの精緻なショット分解が60年代欧州名画を彷彿とさせる一方パノラミックな民衆弾圧描写の剛腕。老齢コンチャロフスキーの言わずに死ねぬの執念が結実。民衆視線を排した体制側2人の捜索行脚はアイロニカルな視座を付与。父親の過去述懐も戦慄。(cinemascape)