男の痰壺

映画の感想中心です

暴力脱獄

★★★ 2022年10月24日(月) シネリーブル梅田2

脱獄と銘打った映画っていうと大体みんな入所早々から脱獄のことしか頭にないみたいな感じで、そのプロセスが映画の見どころになるんだが、本作ではそのへん全く無頓着である。原題は「クールハンド・ルーク」。役なし手のポーカーでハッタリかますことをクールと主人公が言ったことに由来するらしい。さしずめ「はったりルーク」でしょうか。

この男の体制になびかない唯我独尊な生き様がテーマで、1967年製作は「俺たちに明日はない」「卒業」と同年であることからアメリカンニューシネマが胎動し始めた気運と同期してることは間違いないだろう。

ただ、何かに抗して反体制的立場をとるのと勝手気ままは紙一重であり、この映画の主人公は単なる勝手気ままに見えてしまうんです。

 

2度目の脱獄が成功したかに見えたあと、囚人たちにルークは1冊の雑誌を送ってくる。そこには羽振り良く女を侍らせて豪遊するルークの写真。あの野郎やりやがったとヤンヤの囚人たち。しかし、それはヤラセの写真だったことが後で分かる。つまりルークはシャバに出ても居場所がない男だった。

こういうモラトリアムの成れの果てみたいな生き様は半世紀を経てやっぱり共感度は低下したように感じる。それは時代が変わったのか俺が歳食ったのかわかりません。

 

ジョージ・ケネディとのタイマン勝負、ゆで卵50個食い、ポーカーでのハッタリなどの前半の見せ場は概ね緩い。この映画で最も良かったのは中盤でジョー・バン・フリートの母親が刑務所に訪ねて来る件で「エデンの東」の母親役を凌駕していると思う。ただ、これによってルークがママっ子だってわかってちょっとシラけるんですけど。

 

何かの為に我を通すのでなく行き場がないモラトリアムの成れの果てであることが露見する。そういう意味でジョー・バン・フリートとの邂逅シーンは甘えん坊のボクちゃん本質が露呈されて出色だ。ケネディの虚仮威しも合い俟り遣る瀬無さしか残らない。(cinemascape)

 

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