男の痰壺

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追悼 大森一樹

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1980年のキネ旬ベスト10で「ヒポクラテスたち」が第3位になったとき、「長いこと撮ってなかった年寄り2人がたまたま撮らんかったらワシがでっぺんやったんじゃ!」(正確には覚えてないので完全意訳です)と彼はインタビューに答えている。清順「ツィゴイネルワイゼン」は「悲愁物語」から3年ぶり、黒澤「影武者」は「デルス・ウザーラ」から5年ぶりであった。

ツィゴイネルワイゼン」の絶対1位は揺るがないものであったが、俺は「ヒポクラテスたち」を「影武者」の上に置くことに些かも躊躇しません。傑作だったと思います。でも、この時が大森一樹のピークだったんじゃないやろか。

 

高校生の頃、ぷがじゃ(プレイガイドジャーナル)だったと思うが「オレンジロード急行」の撮影ルポが連載されていて、ポッと出の8ミリ小僧がいきなり監督に抜擢された現場の混乱が描かれていた。そりゃそうで、当時は監督なんつーのは何年も助監督修行を積んだもんだけがなれる地位で、スタッフたちの冷ややかな視線をあびながらの苦労は高校生の俺にも痛いほど感じられるのであった。

道なき道を往く。それは先人が開拓した道を往く100倍困難だし意志折れる者が大半なのだ。大森一樹はパイオニアであった。その1点だけで日本映画史に名を刻まれるだろう。

で、高校生の俺はイソイソと「オレンジロード急行」の初日に映画館に向かった。どうか傑作であってくれと祈りながら。でも映画はいまいちで、あーやっぱ壁は頑強やったんやなと項垂れるのであった。

 

ヒポクラテスたち」以降、思い出したように彼の映画を見に行ったけど、どれもかつての輝きはなかったように思います。

享年70歳、今の世ではまだまだ現役で頑張れる歳だった。もう一度輝きを見せてほしかった。

ご冥福をお祈りいたします。

 

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