男の痰壺

映画の感想中心です

最後の歓呼

★★★★★ 2024年5月13日(月) プラネットプラスワン

庶民派で絶大な支持を得てきた老市長の最後の選挙を描いたものだが、ジョン・フォードらしいリリシズムとユーモアが心地よく適合して驚くほどに良い。こんな映画全く知りませんでしたが、映画史の底知れぬ奥行きを思い知らされる。

 

任期を経て再選に向けて始動するとこから映画も始まるのだが、新聞記者の甥を随行させて、そこまで親しくもなかった男の葬式に行き参列者もまばらな式を警察署や消防署の職員を動員して盛り上げる。奥さんに「わしからではなく亡き妻があなたにもしものことがあればと預かってた金だ」と言って香典を渡す。甥は見え見えじゃないすかと納得できなそうだけど、それでも奥さんは涙して感謝。これが選挙なんじゃ、と。こういうのが昨今槍玉にあがってる政策活動費の使われ方の一例なんやろねと思いました。

 

足を運んで人と会って話を聞き解決に尽力する。その繰り返しが政治なんやーとドブ板戦術の最もたるもんだが、対立候補の若手はテレビを使ってのメディア戦術。で、結局はそいつに負けちゃうんです。ってこれ1958年の映画なんですけど、なんだか今も同じこと繰り返してる気がします。

 

甥を連れて自分の生家を訪れるシーンがある。ボロ長屋めいたアパートで、あそこには今の枢機卿がいて、あそこには今の警察署長がいたんやと。みんな貧乏やったし、でも頑張って今の町の実力者になった。一方で富裕階級の銀行家や新聞社主とかの鼻持ちならなさクソ喰らえの矜持。民主党ハレルヤ共和党ガッデムであります。まあ、今ではこんなわかりやすい構図じゃないとは思いますが。

 

敗北の選挙結果を受けて人気のない夜の家路を急ぐスペンサー・トレーシーを追う長い横移動。ここで終わっても良かったとは思いますが、その後時代の終焉を思わせる大団円がある。ボンクラ遊び人の息子や甥の新聞記者ジェフリー・ハンターが後を継ぐとか言い出さないのも又クールでいい。

 

晩年のフォードが到達した『リバティ・バランス』とかと並ぶ時代の終焉への哀歌。リリシズムとユーモアの過度でない適正配分が絶妙で諦念の寂寥をまろやかにオブラートしている。支援者たちとのマスの人物捌きと1人歩く夜道のロングショットの鮮やかさ。(cinemascape)

 

kenironkun.hatenablog.com