男の痰壺

映画の感想中心です

菅原文太

健さんを追うように文太も逝った年の瀬。
映画史的に、ひとつの時代の終焉を感じさせる出来事であった。
 
文太を初めてスクリーンで観たのは高校生の頃、「犬笛」という映画であった。何故、見に行ったのか今となってはわからない。文太目当てでなかったことは確かで、むしろ原田芳雄竹下景子が観たかったような気がする。
同じ年の暮れに、地元の映画館で「仁義なき戦い」5本立てとぃう無茶な番組をやっており観にいったのだが、なぜか朝一の上映が「完結篇」から始まっており、初っ端から訳がわからんカオス状態で一応5本見たが何がなんだか、どれがどれで誰が誰なのかさっぱりわからん状態であった。
当然、文太についても殊更な印象は持たない。
 
30代になり、新世界の映画館で「仁義なき戦い」5本を再び観る機会があり、合わせて「新・仁義なき戦い」3本も続けて何回かに分けて鑑賞し、そのすばらしい面白さに衝撃を受ける。
この8本を建前上真ん中で突っ走るのは文太なのだが、しかし、これらは群像劇であり、たとえば健さん任侠映画のような一本どっこで映画を背負う感じは文太になない。寧ろシリーズで印象のに残るのは、松方や小林や梅宮なのであった。
 
実録路線終了後の素材としての文太は玄人好みな使われ方をされる気配はあった。寺山修二や岡本喜八長谷川和彦市川崑の諸作で主役乃至準主役を演じるが印象は大きくない。
 
寧ろ、「日本の首領」シリーズのように、半歩退いた立ち位置で毎回死ぬのに違う役名で復活する文太に輝きがあった。
 
最近はもっぱら引退状態であった。
いろいろ、考えもあったのだろうが、山田洋次の「東京家族」の降板だけは悔やまれる。あれは、どう考えても文太に当て書きされた役であった。
「影武者」の勝新降板に匹敵する映画史上の虚しい夢を形成してしまったと思う。