男の痰壺

映画の感想中心です

ジャズ・シンガー

★★★ 2017年8月5日(土) プラネットスタジオプラス1
イメージ 1
世界初の長篇トーキー映画として記録される作品だが、音声がついてるのはショーの場面のみ。
台詞は字幕で対応されるのだが、1シーンのみ台詞もトーキーなのが如何にも中途半端だ。
 
内容的にも、どうにも肩入れしにくい部分が散見される。
教会の子息として神父の職を継ぐべくして育てられた主人公はショーマンを夢見て家出。
そして苦節数年でブロードウェイ出演のビッグチャンスをつかむ。
 
ところが舞台初日前夜、父危篤にて帰って重要な祭祀を代わりにやれと母や父の友人に言われる。
で、主人公は悩むのだが、まあ、見てるもんとしては
「何悩んどんねん、アホー!断って夢をかなえやがれ~」
と十中八九思うのである。(思わないですかね)
 
で、主人公はなんと舞台を捨て家に戻るんですなあ。
当時の価値観ってのは、そこまで親子の義理ってのが重視されたのだろうか。
時代による価値観の変遷ってことでむりくり納得する。
 
だが、延々と帰るべきか帰らぬべきかとハムレットなみな煩悶を続けて結局、家に帰りました。
舞台は、身勝手な主人公のドタキャンのおかげで休演の憂き目。
ああ…まあ、親をとった選択もありか。
と、思ったのもつかの間、再びショービズ界に戻った主人公は大成功。
やんややんや。
 
…なんやねん、そりゃ。
 
個人の夢の成就と家族の柵の間の煩悶を引っ張り引っ張った挙句の卓袱台返しな展開の強引さに呆れる。今では考えにくい黒塗りの扮装やユダヤコミュニティの真正面から描写に時代の変遷を思うのだ。トーキー初作という意味合いよりそっちの方が歴史価値がある。(cinemascape)