★★★★ 2018年5月6日(日) シネヌーヴォ
上映が始まり、16ミリフィルムの質感もだが、フィルム傷に堪らない郷愁を覚える。
その、「場」の空気がダイレクトに伝わる臨場感はフィルムならではだと思う。
あえて、フィルム撮影に拘ったそうだが、正解であった。
多くの、尖がった大傑作があるのであるが…
この映画は、そこまで尖がる気配もない。
娼婦を描いても濡れ場はありません。
地上げ業者に憤慨しても暴動には発展しません。
釜をめぐっての争奪戦っていうても緩ーいっす。
ただ、
娼館の夏の夕暮れのような寂寥感であったり、
十数年ぶりに会った幼馴染との会話の微妙な間合いであったり、
無人の職安のだだっ広い空虚であったり、
ギター爺さんの「無法松の一生」を初めてちゃんと聴いた喜びであったり、
なんやかんや、そういう細部が自走して醸し出す味や空気が突出しおとるんです。
そういう映画なんやと思います。
街娼を描いて濡れ場がなくアングラ資本の介入に対し暴動もない。ただ、体裁に留まる釜争奪の合間を縫って行き遅れた街並みの寂寥が夏の夕暮れの淡い日差しのように滲み出す。16ミリのフィルム即物的な手触りの行間から細部が自走して空気が醸されるのだ。(cinemascape)