男の痰壺

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私はあなたのニグロではない

★★★★ 2018年5月19日(土) テアトル梅田1
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アメリカに於ける黒人差別史において、殊更に新たな括目されるべき何かが呈示された訳ではない。
 
冒頭、原作者であるジェームズ・ボールドウィンが言われたこと。
「何をそんなに悲観的になる?随分と良くなったじゃないか」(意訳)
 
確かに、おそらく良くはなった。
でも、平等には程遠い。
だが、映画の中に、これに対する回答があるわけではないのだ。
 
これは語り口の映画だ。
暗殺された3人の同時人への深い喪失感ゆえに内省的で鎮魂的。
俺は、このような透徹された作風を最近では1人だけ思い浮かべる。
2000年以降のゴダールがそれで、特に「愛の世紀」がずっと頭をかすめ続けた。
 
一方で多くのフィルムがピックアップされる。
特にシドニー・ポワチエの3作。
「手錠のままの脱獄」「夜の大捜査線」「招かれざる客」。
これらは、白人の望むべき黒人像を演じたとして否定的にとらえられる。
でもねえ、時代を考えりゃあ、精一杯だったんじゃないだろうか。
ちょっとポワチエが可哀そう。
 
確かに良くはなったがそれはそっちの言い分で在るべきには程遠いがどうすりゃいいかの答はない。ただ、失った同時代人に対し果てしない苦渋と悔恨があるだけ。その静かで冷たい鎮魂的な語り口は何故かゴダールの悟りに近似する。引用もエキサイティング。(cinemascape)