男の痰壺

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判決、ふたつの希望

★★★★ 2018年9月8日(土) 大阪ステーションシティシネマ
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あまりに短気すぎるやろってところに違和感がある。
これでは、諍いの根底に根ざす民族的な問題がフィーチャーされる前に個人の特殊性に起因することになる。
と、見始めた当初は感じたのだが展開が速く次々と出てくる隠された真実に目を奪われる。
容赦ない異物感の嵐のような投入で温い違和感などどうでもよくなった。
 
パレスチナ難民にとってイスラエルは怨嗟の対象なのだろうが、レバノン人にとっても同様であるらしい。
2項対立では語りきれない世界情勢の混沌を今更言うつもりもないのだが、それにしても米アカデミーは外国映画賞のノミネート作に選んだのは、おそらくノミネートくらいはとのリベラルポーズだろう。
まあ、受賞は絶対に無いでしょう。
 
物語は国内のレバノンパレスチナの一触即発の民族紛争の様相にまで発展する。
この映画のわずかながらの難点はそこで、言うなれば大風呂敷を広げすぎた。
広げた風呂敷は中途半端に済し崩しに畳まれた感がある。
 
タランティーノの元でスタッフとして修行した監督らしく映画的ケレンに充ちている。
・両者の弁護士が実の父娘と明かされる展開。
・中国製品への自己評価が一致することに頷いてしまう一幕。
・憎しみを超えた仕事人としてのプロフェッショナリズムの発露。
・ラストの法廷前での視線の交錯と余韻を残すカットアウト。
 
家族を虐殺され故郷を蹂躙された者に軽々に融和や和平を言う資格が誰にあるかという思い。駐車場での一幕は糸口にはならず男は侮蔑し殴られるをもって心と体の痛みを等分するしかない。レバノンの街角で吹き出した民族怨嗟の潮流が大騒乱に至る顛末は生煮え。(cinemascape)