男の痰壺

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つかのまの愛人

★★★★ 2018年10月18日(土) シネヌーヴォ
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フィリップ・ガレルの映画は初見。
だが、脚本ジャン=クロード・カリエール、撮影レナード・ベルタってのは弩級の大所である。
 
これは、ニンフォマニアの女を愛人にしちまった中年男の話。
男は大学教授で女は教え子なのであるが、女の色情は冒頭の大学構内でのどっかの男とのSEXで開示される。
 
一方で教授の娘は、どうも彼氏にこっぴどく振られて追い出され、父親のところに泊めてもらいに行く。
そこで、同居する愛人の存在を知る。
 
このように、ネタはそろったわけだが、カリエールの脚本は簡潔で娘が訪れた段階で愛人は登場させない。
翌朝、寝起きで部屋から出てきた女と娘は顔合わせるわけだが、すかさず教授は仕事で外出。
 
言うたらこの映画、大したドラマはない。
というか、敢えてそこを避けている節がある。
 
俺が決定的だと思ったは、娘の元カレのところに荷物を引きとりにいく件で、「私が代わりに行ったげる」みたいな感じで女が行くと元カレがいた。思った以上に好青年で2枚目。
となれば、色情の血が騒いで、そういうことになっちまうんかと思ったが、何にもおこりません。
見る者は肩透かしを食うが、それでも安心して流れに身をゆだねるのである。
 
簡潔な省略が効いた脚本と、ソリッドなモノクロ撮影。
尖った意匠をまとっているが、基底にはロメールのように優しいまなざしがある。
 
簡潔な省略が明晰なモノクロと相俟るカリエール・ベルタの欧州2巨頭のサポートもあり演出は自然体で軽やかを貫く。そこではニンフォマニアックな毒も中和されて後景に退くかのよう。孤独に泣いた娘は笑顔を取り戻し親爺の寄る辺ない詠嘆を掻き消す。(cinemascape)