男の痰壺

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日日是好日

★★★ 2018年10月21日(日) MOVIXあまがさき9
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コンセプトはわかる。
人生に於いて、これといった何事もなく漫然と日々は過ぎて行って何も起こらない。
好きで始めた茶道でないが、他にすることもなくって続けている。
 
そんな、彼女が人生の中で最大の苦境に陥るのだ。
出版関係の会社でバイトの身分から正社員の登用チャンスに失敗。
結婚前までいっていた恋人との関係は、男の不義で破綻。
一緒に茶道を始めた従妹は、さっさと辞めて見合いをして結婚し幸せ満喫…らしい。
 
まあ、すべてがいんけつでドツボであり、置き去り感に見舞われ孤独でもある。
そんなとき、新人のセンスある女の子を傍目に、先生から指摘される。
「あなた、ゴツい手に見えるわよ」
言うたらセンスないわよってことで、彼女の衝撃は計り知れないのであった。
しかし、そのあと彼女はなんとなく開眼する。
茶道の奥深さと本質に…。
 
この映画は、何かが足りなくてどこかが浅く感じられる。
それは、やっぱ茶道の突きつめた描写であって、確かに所作とか掛け軸とか茶碗とか一応見せるのだが、いかんせん愛が足りないんだと思う。
大森監督は茶道に関してはど素人だというから仕方ないとも言えるが、仕方ないじゃあすまないのだ。
(えっ何?お前は経験あるのかって?…あるわけないじゃん。)
 
ひなびた住宅街の奥深くに教室の家がある。
玄関が小さくショボイ。
しかし、いったん上がると奥深く、庭は想像以上に広い。
それなら、庭をもっとことこまかに見せて欲しい。
家の間取りも、もっと言えば住宅街の周辺状況も。
そういう積み重ねからしか、静謐の中に四季の移ろいを感じる喜びだのなんだのは描ききれない。
 
俺は、見ていて勅使河原の「利休」という映画を思い出していた。
それほど好きな映画でもないが、あの映画の茶器や掛軸や衣装は本物だっていう押し出しがあった。
それは作り手が、描かれる世界に心酔し愛し抜いていたからだと思うのだ。
 
消極的意思で何もない人生の空隙を埋める手管としていたものが本当は素晴らしいものであったという、その肝の1点を映画は凡庸にスルーする。時候や季節の移ろいが心に染入るには周辺街路や街並みや家屋の設計や庭の草木の細緻な描写が茶の道と同期してこそ。(cinemascape)