男の痰壺

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ギャングース

★★★★★ 2018年11月24日(土) TOHOシネマズ梅田7
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どっかの党が一時機、消費税上げなくても企業の内部留保吐き出せたらいいねんと謳っていた。
どうやって吐き出させるかの方途を指し示すことが肝要なのに、全くの言うだけ番長で、だからダメやねん。
と思ったりもしたが、この論法は一方で片手落ちであって、それを言うなら個人の金融資産も言わないとね。
が、しかし、そんなこと言ったら選挙でおっこちるので誰も言えないのである。
 
篇中、半グレ組織の番頭、金子ノブアキが振り込めサギの掛け子として集めた連中に研修だか洗脳だかで一席ぶっているシーンがある。
団塊世代以前の年寄たちへの資産の偏重のシステマティックな矛盾をついていて、俺は正論だと思うのだった。
 
この映画は、年少あがりの若い3人が大組織を喰うっていう、小が大を制すみたいな王道の骨子を持っているが、豊饒な細部にあふれている映画だ。
多重債務に陥った若い女たちを身ぐるみ剥がして競りにかけるシークェンスをはじめ、徹底的で呵責がない。
 
往年のヤクザ映画が、その組織的変容を背景になりをひそめた今、「新宿スワン」あたりを契機に、かわりに出てきたジャンルのひとつの達成だと思う。
入江悠は「ビジランテ」あたりから気骨のある社会性を帯びてきていて、あの映画で最も精彩を放っていた利権をめぐっての半グレ同士の食い合いを、この映画で全面開花させた趣ある。
 
小が大を喰う凡庸な王道ドラマは調査に裏付けられた状況の細緻描写と明確な価値観の存在で昇華する。内省化し沈殿する自我を放逐し野垂れ死ぬ位ならぶち当たって死ねと謳うのは正論と思う。金子の掛け子へのアジ、多重債務女の競売など躊躇も呵責もない。(cinemascape)