男の痰壺

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日の名残り

★★★★★ 2019年1月19日(土) 大阪ステーションシティシネマ
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趣味な映画なのだが、公開当時なんで見なかったかと考えるに、
アンソニー・ホプキンスに辟易してたからだと思うのだ。
これは、1991年の「羊たちの沈黙」の2年後の作品である。
 
徹頭徹尾、感情を押し殺してあらわさない男の物語。
それは、演出上も徹底しており、ほのかに匂わすような些細な描写さえ皆無なのだ。
しかし、ホプキンスは、その難題を越えて見せる。
微妙な目の移ろい、体の向きを変える間合いなど。
今更ながらに参りましたという思いです。
 
もっと、2人に寄り添った物語かと思っていた。
しかし、2人の日々の感情の交錯は、ほぼ描かれない。
物語を起動させるのは、前半は、ホプキンスの老父であり、中盤以降は主人であるダーリントン卿。
この時代が変遷する中で消えてゆく2人を配して、一見変わらないかのような執事や女中たちの、しかし、確実にそれでも変わらざるをえない慎ましやかな歴史を描いている。
この作劇は驚くほどにロマンティシズムにあふれている。
 
終盤の30数年を経て再会する2人の挿話は決定的と言っていい出来。
この、雨中の別れは当分、俺の頭から去りそうにない。
 
隠匿された心根を視線の揺らぎや所作の間合いで滲みださせるホプキンスの至芸だが作劇は2人にさほど寄添わない。消えゆく老父と主人を配し執事や女中の変わらざるを得ない慎ましやかな歴史を起動させる。故に30年を経た邂逅の結末は胸搔き毟る。(cinemascape)