男の痰壺

映画の感想中心です

チワワちゃん

★★★★★ 2019年1月22日(火) 梅田ブルク7シアター3
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岡崎京子の漫画は読んだことがないし、映画化された「ヘルタースケルター」も「リバーズ・エッジ」も未見。
 
有体にいうと若者の狂騒の日々とそこで命を落とした女の子の物語。
っていうと食指はほとんど動かないのであるが。
俺は、この二宮健って新鋭監督は昨年の「きみの鳥はうたえる」の三宅唱と並んで買います。
 
まあ、どっかで見た映画の手法をトレースしてる感はある。
600万盗んで遊びまくって3日で使い切るってところはハーモニー・コリンの「スプリング・ブレイカーズ」。
乱交で捨てられたスキンとコマ落しでベッド上の男女をモンタージュするのはダーレン・アノロフスキー「レクイエム・フォー・ドリーム」を連想した。
それでも、巧いと思うし堂に入っている。
 
門脇麦が一応語り手みたいな位置でいるのだが、それでもやっぱり中心軸はチワワちゃんを演じた新人・吉田志織であろう。
男の大半からは好かれるが同性である女性の半分からは嫌われるみたいなタイプを演じて過不足がない。
 
しかし、映画は彼女の内面にそれほどは踏み込んでいこうとはしない。
バラバラ死体で発見されたってのにだ。
そこには浪花節的なあるいは煽情的な要素は皆無。
あくまで、そういえばそんな娘いたよねって感じ…表面上は。
それだけに、それだからこそ、彼女の死体がみつかった海岸に仲間が出向いていって花を手向ける終盤のシークェンスは何かが終わってしまったという切ない無常感にあふれている。
 
若者たちばかりの出演者の中に、浅野忠信がちょっと出てきて一瞬で画面をかっさらうのはオジサンとしては溜飲が下がったっす。
 
嵐のように過ぎ行くモラトリアム期の無軌道と軋轢と煩悶を描いて平成の終わりに飛び出した松竹NVの感。それは瞬く間に終わる儚い夢であり殺されたチワワちゃんも程なく忘れ去られるだろう。現場の海岸で手向ける花が猶予期間の終焉を表象する切なさが出色。(cinemascape)