男の痰壺

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サスペリア

★★★★ 2019年1月26日(土) TOHOシネマズ梅田7
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オリジナルは初公開からずいぶん経ってから見たが、つまらないと思った。
唯一、最初の空港シーンで自動ドアの開閉に内部のギアが動くショットが挿入されるのに感心したのみ。
 
ルカ・グァダニーノって監督は初見であり、そのフィルモグラフィからして、モンタージュで語るタイプの作風ではなさそうな予断もあった。
 
そんなだから、最初の老医師をクロエが訪れるシーンの徹底的に細緻なモンタージュにかなり驚いた。
固定カメラのソリッドなショットの積み重ねと小道具に対する異様な拘泥に先述のアルジェント版の空港ドアが俺の脳裏に差し込まれる。
インスパイアをこういう形で具現化する演出はシュアと言うしかない。
 
ただ、そういう一種文学的なアプローチってのは、何かが起こりそう(或いは起こる前)であるからこそのものであって、何かが起こってしまってからは、その何かに語りは従属するしかない。
 
最初の犠牲者が、なかなか死んでくれないのに俺は参ってしまった。
ああ、そっち方面に映画は舵を切るんかいなと思った。
そして、語りの妙味は後方に退く。
 
そうは言っても魅惑的なシークェンスは多い。
2人の刑事が館を訪ねるシーンでの主人公が盗み見る洗脳場面。
老医師の前に現れる戦時中に生き別れた妻(これをオリジナルの主演ジェシカ・ハーパーが演る)との邂逅。
概ね、魔術ってのは深層心理の贖罪意識を操るもんだ。
魔女連が何故かパブでガヤガヤ飲み会やってるシーンも意味わからんが不気味です。
 
映画は終盤でエロとグロの一大カタストロフィへ突入する。
それが、2派の魔女派閥の相克と主人公の覚醒に巧いことリンクし損ねてる感じがする。
カオスの前にあるべきロジックが無い。
そこが、細部はいいが、全体としてどーなんよって感じを与えてしまう要因だ。
 
曰くあり気な事変前のモンタージュが細緻を極めて不穏な前兆をいやが上にも煽るし、いざ事が起こってからのサディズムに呵責はない。洗脳を旨とする魔術の本質がナチの悪夢とテロルの不穏で倍加されるのも良だが終盤でロジックが退きカオスに委ねてしまった。(cinemascape)