男の痰壺

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イタリア式離婚狂想曲

★★★★★ 2019年2月2日(土) シネヌーヴォ
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50~60年代のイタリア映画を牽引した巨匠たちのなかで、近年もっとも言及されないのはピエトロ・ジェルミなんじゃないだろうか。「鉄道員」や「刑事」といった庶民派のイメージが先行して、もういいかって感じ?
フェリーニヴィスコンティやアントニオーニやパゾリーニロッセリーニに比べて分が悪い気がする。
 
これは、落ちぶれた没落貴族を主人公としてる点でジェルミの意外な抽斗を垣間見れる傑作。
俺は、その闊達な語り口にウディ・アレンを思い浮かべたが、案外にアレンの作風に影響を与えた1人なのかもしれない。
冒頭からエッジの利いたモノクロームにやられるのだが、その撮影の秀でた意外性においてデ・シーカの「終着駅」に比肩する。
 
女房に飽いて、もうおっ勃たなくなってしまい、若い従妹に惹かれて妄想がつのる。
カトリックの国であるから離婚はできず、なんとか女房に死んでくれないかと明けても暮れても考えている。
この、女房のダニエラ・ロッカっちゅう女優が絶妙で男からしたら分かるわ~っていう女を体現している。
 
妄想①
庭で樽の中の糊みたいなのをかき混ぜている女房を見て背後から忍び寄ってナイフで刺し殺して樽に沈める。哀れ女房は糊の中にぶくぶくと沈んでいく。
妄想②
海水浴で砂風呂状態の女房を見て、底なし沼にあがいて沈む女房を妄想する。
妄想③
TVで宇宙ロケットの打ち上げニュースを見て、ロケットに女房を閉じ込めて打ち上げ宇宙の藻屑と化する。
この3段階の妄想つるべ打ちが加速して非現実的に飛躍するギャグセンスは全く古びていない。
 
まあ、男は女の何に惹かれてやまないのかというと、性的欲望ってのもあるが、状況とか環境とかの外部要因が大きいのであって、存外に背徳的ロマンティシズム要因が優先する。
古女房では、ロマンティシズムは喚起されない。
であるから浮気は決して止むことはないのである。
 
篇中、家族そろって映画を見に行く件があって、その映画がフェリーニ甘い生活」なのだが、主人公のモノローグで弩級の問題作が公開されたと言わせる。
フェリーニはジェルミの初期作で脚本協力してるから弟子筋なんだろうし、その話題作を心から讃えるジェルミはイイネって思える。
映画館でフェリーニ自身も1カット出演。
スクリーンの中でアニタ・エクバーグと戯れるマストロヤンニを見るマストロヤンニってのは映画史的興趣を煽ってやまない入れ子構造だ。