男の痰壺

映画の感想中心です

13回の新月のある年に

★★★★ 2019年2月17日(日) シネヌーヴォ
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俺は昔、ファスビンダーの「ケレル」ってのを見て大概うんざりしたことがあるので覚悟して見に行った。
でも、そういったその手の人専門映画みたいな雰囲気ではなかった。
 
これは、妻も子もいるのに、ある男に「お前が女だったら」と言われて性転換した男の数日を描いた映画。
自分はゲイではなかったって言ってるが、そのへんの心理は正直わかりません。
どっからどう見てもおっさんであって、女装したって丸わかりで、昔はきれいだったって言われてもにわかに信じがたいのである。
 
だが、この映画の女たちは元妻や娘を含めて、みんな彼に優しい。
男どもは限りなく彼にきつい。
そういう意味で映画は皮肉にも女性賛歌の様相を呈している。
 
ファスビンダーのゲイの伴侶が自殺したことから製作されたってことで、ほとんどのパートを彼が担っている。
撮影もファスビンダーで、そのショットの的確さに改めて瞠目させられる。
描写の徹底も呵責ない。
昨年、「心も体も」って映画で牛の屠殺場が出てきたが、この映画のそれはものの比じゃない。
凄まじすぎて脳内が麻痺してくる。
あらためて、映画に対する覚悟ってのが段違いの人だったことがわかるのだ。
 
主人公は孤独に違いなく居たたまれぬ惨めに苛まれてる筈なのだが一生懸命に生きようとする。1つの縋る思い出があったからでそれが打ち砕かれ彼は死ぬのだが演出は献花めいて湿り気はない。シュアな撮影と呵責ない現実提示が覚悟のほどを示してやまないのだ。(cinemascape)